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おおらかに生きる

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有り難し有り難し 56

法は法でも世俗の法を学んでいる者です。
しなやかに生きる心構えについてお聞きしたく存じます。

つい先日、法話をうかがう機会がありました。
その和尚さんは「大いなる哉心や」を引いた上で、心に限界を設け縛りつけているのは自分自身だとおっしゃっていました。

法律を学ぶ学生の世界はなかなかにストレスフルです。
学ぶこと、学び続けること自体には不安や不満を感じてはいませんが、誰かと比べられ、数字をつけられ、それをまた比べられ……というプレッシャーに重装備した心で立ち向かい、空回りする日々が続きました。「なるようになればいい」と思っていた頃もあったはずなのに、過去の失敗や将来への不安に囚われ、肝心な時に限って上手くいかないこともありました。何のために法を学んでいるのか、目の前で困っている人に手を差し伸べるためではなかったのかというもっとも根本的なさえ、卒業を前にした今まで忘れかけているような有様でした。

なるほど、私を囚えたのは私自身だったのか。法話に膝を打ってはみたものの、それでは時間をかけてガチガチになってしまった心をどうほぐしたものかと思いあぐねています。いびつな形でありながらも平和に共存している二つの民族が、血で血を洗う戦乱を繰り広げ憎みあった記憶を取り戻すことの意味を問うた小説を読んだことがあります。私もまた心を塗り固めて抑え込むことでやっと踏ん張ってこられたのではないのかという恐れを感じているのです。

巧みなる画師であるところの心にのびやかに過ごしてもらうためには、日々どのように考え過ごせばよいでしょうか。アドバイスをいただけますと幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

糸の弛緩のタイミングを大切に!

質問読ませていただきました。

私も僧侶をしながら大学で法律を学び、一時期は弁護士を目指した身ですので南北さんの葛藤は少し分かるような気がします。

さて、法で悩む人へ手を差し伸べるという志しはとても素敵なものです。法治国家である日本においては、法を熟知した人が法に疎い方を陥れたりすることもありますよね。
真っ直ぐ生きていても、法を知らないために多大な不利益を受けると言うことも日常茶飯事におこっています。
そんな方をなんとかしてあげたいという南北さんの心は、とても慈悲に溢れているのでしょう。

ところで、法に悩む人に手を差し伸べるというのは色々な方法が考えられます。弁護士を目指す、司法書士を目指す、行政書士や他の資格試験を目指すといったものも1つです。
もしくは、法の知識を蓄えて法曹界とは異なる道へ進むという方法もあります。私も、弁護士にはなれませんでしたが、学んだ法の知識で御信者さんにアドバイスしたりなんてこともしております。

このように色んな方法がありますが、自分の進もうしている道次第では、やはり周りや数字と戦わなければならない時期があります。
心をほぐすというのはとても大切な事です。釋師のおっしゃるように張り詰めすぎはいつか切れてしまいます。しかし、自分の目的を叶えるための過程に置いては、歯を食いしばることも必要となります。

ですので、上手に気分転換をする術を身につけ、自分の夢の初心をしっかり胸に刻みながら前に進むことを忘れないで下さい。
過去の失敗も将来の不安も、自分が一歩ずつ進んでいくことで必ず解消されてきます。一歩進めば過去の失敗は経験に変わって活かされ、一歩進めばまだ形として見えない将来が少しずつ具現化してくるので不安は解消されてくるからです。

そして、一歩進むたびに少し心の緊張を緩めてあげればいいのではないでしょうか。
夢を叶えるためには、緊張の糸の弛緩のタイミングが大切ですよ。そのタイミングが自分で上手に掴むことが出来れば、普段の生活でも充足感を持っていけるはずです。

なかなかうまくいかないこともあるでしょうが、頑張るべきときは気分転換と初心を心がけて前を向きましょう。その歩みを進める中で見えてくるモノもありますよ。

何か少しでも参考にしてみて下さいね!

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有り難し
おきもち

京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
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頑張る事も時には必要ですが

普段から頑張り過ぎていると緊張の糸はいつか切れてしまいます。
私は趣味でギターを弾くのですが、弦楽器には丁度良いテンションで張らないと、きつ過ぎると切れてしまい、弱過ぎると音が出ません。
人間の精神も同じではないでしょうか?
緩め過ぎても駄目、かと言って法を学び始めた最初の目的を忘れる程の張り詰め過ぎでも、いつか切れてしまいます。
自分なりのいい塩梅というものを見つけてみて下さい。

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有り難し
おきもち

浄土真宗本願寺派 忠専寺 住職 同宗派 特別法務員 同宗派 布教使 ...
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質問者からのお礼

釋様
藤川様

お二人ともお忙しい中ご回答いただき、どうもありがとうございました。おかげでさまで、少しずつ考えがまとまってきたように感じています。

緊張の糸の弛緩のタイミングが大切だというのはおっしゃる通りですね。きちんと気分転換をするということ自体忘れてしまっていたようで、糸が切れかけていたと気づいた今になってみれば、休もう、休んでもいいんだという不思議な感慨さえあります。

そこに限度があることも承知しています。私の問いも思い返してみれば、どのように休めばもっとも上手くいくかと考える戦略的な私が、努力しなければならないと所構わず正論を振りかざす私に殴りかかられ、戸惑った末に投げたものだったというのが実情かもしれません。「いいの?本当に休んで?」「押さえ込んできたものが解放されてもっと酷いことにならない?」と。

この迷いを捨てて、おおらかに構えていれば自然と湧き上がってくる力をいかにそのままにしておくかという問題さえ片付けてしまえば、それができても駄目かもしれないというのは実のところ不安というほどの不安でもありません。ここは不思議と能天気なもので、今日の悩みが明日の笑い話になっていればいいなと一息ついて、これからの一日一日を気楽に頑張ってみようと思っています。

この度はたいへんお世話になりました。
末筆ではございますか、皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

『今』を生きる事に集中したい

幼い頃から負の情報にとても影響を受けやすいです。 家族間や学校、職場での出来事はもちろん、特にメディアでの情報やニュースにはとても敏感です。 東日本大地震で被災してからは更に過敏になったように思います。 戦争や災害、陰謀論、気候変動、ワクチン、政治問題など。 こればかりは自分の影響力の範囲外の事ですし、先のことは誰にも分からないので悩んでもしかたない事だと理解はしているのですが怖くて苦しくて潰れそうになります。 そういった情報が目に入らないように使用機器の設定をしたり、テレビをつけずに過ごしたりと対策はしているのですが、たまたま目に入ってしまった時に呼吸が苦しくなってしまうのです。 恥ずかしい話ですが、北朝鮮のミサイル発射の速報を見て小学校や中学校だけでなく仕事を休んでしまったり、公共交通機関に乗れなくなったこともありました。 共感疲労というのでしょうか。 いつか家族が、愛する息子が、自分が、と次々に想像してしまい止められません。 そして実際に家族を失ったような喪失感に襲われます。 夢に出てくることもあり、正直それが一番辛いです。 残虐な殺され方を目の当たりにして現実で起きたような衝撃と感情で目が覚め、気持ちがリセット出来なくなります。 毎日何かに怯え、家事育児中もずっと頭の中が不安しかないのです。 常々『死』を連想してしまいます。 立て続けに身内を3人、急性の癌で亡くしているのでそれも関係しているのかもしれませんが。 こんな世の中に息子を産んでしまった事を後悔してしまいます。 この世は生きるに値しない気がします。 でも生きていくしかありません。 どうしたら今を生きられるようになるでしょうか。 まとまりの無い文章で申し訳ありません。 ご返答いただけると幸いです。

有り難し有り難し 10
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専業主婦に憧れます

こんにちは。 以前新婚時に相談したものです。 新婚時は夫どの関係に自信が持てず悩んでいましたが、昨年第一子を出産してからは全く気にならなくなり、それどころか家族との日々を過ごせることをとても幸せに感じています。 今回ご相談したいことは、私の仕事のことです。 私は公務員で役所勤務しています。育休や子育て支援制度も充実しており、今は週3日勤務で子供を保育園に預けながら働いています。 平日休みの日は子供は保育園に行くので、私の時間ももらえ、とても恵まれているのはわかっているのですが、子供が熱を出したときなど急な休みをもらわないといけないときなど、仕事をやめてしまいたくなります。 急に仕事に穴を開ける罪悪感、子育てがあるため仕事に全力を注ぐことができない罪悪感、仕事のことを気にしながら子どもと向き合っているもどかしさ… 私は両立が苦手のようです。 どちらにも100%の力を注げないもどかしさもありますが、何より子供を育て、家族のことを一番に考えながら平和な家で家事育児をして過ごす日々が幸せすぎます。 なので、いっそ仕事をやめてしまって家事育児に専念し、余った時間で今流行りの在宅でできるお小遣い稼ぎでもしたらいいんじゃないかとか思ってしまいます。 でも、やっぱり今の仕事は本当に恵まれているのも承知しており、そこまで高給取りではありませんが、長い目で見れば金銭的にも大きな差が出てきて、将来の子供の学費などの資金にも影響が出てくると思います。夫はやめるのは私の保障がなくなる意味でもったいないといいますし、私の親は辞めたとしても、専業主婦になっても辛いこと嫌なことはあるから変わらないといいます。 今の私はどのように気持ちの整理をつければいいでしょうか。

有り難し有り難し 22
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敢えてバランスを崩す

人生において、何事もバランスを取ることが大切だと良く聞きます。しかし何事も二面性(バランスを取ることによる弊害)がある中で、なぜその重要性が真理のような言い方をされるのでしょうか。 例えば、食生活のバランスを意図的に崩してみること(ときに、野菜のみ/肉のみ/炭水化物のみ、暴食/絶食、新鮮な食材/悪くなりかけの食材、普段食べない料理にチャレンジ等)は、自身の体の変化への対応力を身につけるためには有用である(むしろ健康を増進する)との考え方もあるでしょう。 また、常にバランスの取れた食事よりも、その時々で食べ物の美味しさ、有り難みに気づけるのもメリットでしょう。 意図的にバランスを崩すことは、仕事や学業や趣味、恋愛など様々なことにも有用と考えております。 何事もバランスが重要との言葉、信じて良いのでしょうか。(上記の例でいくと、長い目で見ると食生活のバランスが取れているとの見方も可能だと思いますが) 仏教ではどのような考え方をされるでしょうか。バランスは時間の経過とともに自然と取られるとの見方や、そもそもバランスを取るなど幻想、私の問い自体がナンセンスとの考え方もあるかと思います。是非お知恵を拝借させてください。

有り難し有り難し 6
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今を生きる=悩む暇がないこと?

以前より、死の恐怖についてご相談させていただいております。いつもありがとうございます。 今年から仕事をはじめ、毎日必死に慣れない仕事をこなしています。以前と違って少なくなった休日は、友人との交友や趣味を詰め込んでいます。 そのような生活をしばらく続けていましたら、以前悩んでいた「死の恐怖」について悩む物理的な時間が殆どなくなっている事に気が付きました。 しかし、死の恐怖がなくなった訳ではなく、今でも偶に恐怖で叫び出してしまう事はありますし、将来のこと(今後のキャリアやライフプラン)について考える時にも、「死ぬ時、恐怖に震えながら死ぬのだろう」ととても悲しく、またとても恐ろしくなります。 これは、「今を生きている」のでしょうか?確かに、目の前のことに必死で、死について考える時間がないので精神は健全です。以前より充実していると思います。 ですが、人生の本質のようなものを蔑ろにしている気もします。今の生活はなんとなく、さまざまな問題から逃げている現実逃避のように感じます。人生は死からの逃避、という言葉をどこかでみました。私の人生は今、逃避なのでしょうか。 そこで、「今を生きること」と「現実逃避」の違い、「今を生きること」と「何かに夢中になり、悩む余裕がない」ことの違いが知りたいです。 また私の今の様な生活は、仏教やお坊さんのお考えからはどのように思われますか? 死に怯えるだけだった過去から、今の生活になったことは進歩でしょうか?これは、私の望む「死は悪くない、怖くないと安心して死ぬこと」に近付いていますでしょうか? お忙しいところ恐れ入りますが、知恵をお貸しいただけますと幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
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社会不適合者の生き方

今自身の存在意義について悩んでいます。 背景を記載致します。私はASDという発達障害を患っていることを社会人になって初めてしました。これは先天的なものであり、不治です。 学生時代から社会不適合や問題児として扱われてました。しかし、それも一つの味だといじられキャラとして何とか楽しく過ごせて来ました。また、人なりになれない部分ばかりですが、一部は無茶して何とかして来ました。 しかし、社会人になるとそうはいきません。普通の人が出来ることにやはり数倍苦労します。ミスばかりで他人に迷惑をかけます。無茶をすると逆に会社として困る存在になります。 学生時代からぼんやり思っており、発達障害とわかってはっきりしましたが、このような発達障害で何の取り柄もなく、人の数倍労力をかけないと人並みにすらなれない人間に何の意味があるのだろうと自己嫌悪に堕ちる日々です。 この先は生きていても誰の役にも立てず迷惑ばかりかける存在になると思っています。だからこそ、命を粗末にすることは悪いことと思いつつ、早死にしたいという気持ちがあります。苦しむために生まれて来たとさえ思います。 その反面、健常者と同じように生きたいという欲深い気持ちもあります。 難しい質問ではありますが、どんな心持ちで生きれば、この苦しい罰のような人生を乗り越えられるでしょうか?どうやって自身の存在を受け入れればいいでしょうか? 長年の悩みです。アドバイスをいただければ幸いです。

有り難し有り難し 11
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自分の生き方

私は昔からわがままで性格が悪く自己中で欲の強い人間でした。 幼稚園の時女の子の友達に対していじめをしていたり、親の気を引くためにわざと親に対して嫌な事をしたり、歩くのに疲れたらお腹が痛いなど言い訳をして親におんぶをしてもらっていました。 小学生の時は、親の気を引くためにいじめられていると嘘をついたり、兄や母の部屋に入って物を取ったりしていました。 小1の時、友達と遊んでいたのですがその時に友達が子犬も連れていて私がその子犬を抱っこしてフェンスに登って遊んでいたのですが、あまり覚えていませんがその子犬を下に落としてしまってその子犬が亡くなってしまいました。もしかしたら自分が登っていて危なくなったので犬を下に落としたのかもしれません。 中学生になり人間関係がうまくいかずいじめを受けたりして、強迫神経症になりクラスに行けなくなり高校生の時学校を転校しました。また、幻聴も酷くなり、薬も効きません。 転校したのも正直自分が楽をしたかったからです。 転校した先の学校は通信制でお金がかかり親に迷惑をかけました。 親は片親で父親が亡くなり1人で育ててくれましたが、親の気持ちなど微塵も考えず自分が楽したいからと逃げていました。 社会人になって仕事が続かず、また職場で悪口のターゲットになりやすく、転々としていました。20代前半で6回も転職しています。どの職場でも悪口のターゲットになります。また、幻聴が聞こえてくるので何が何だか分からなくなり、被害妄想が強くなり周りが悪口を言っているからと言ってもしかしたら言っていないかもしれないのに周りのせいにしていました。 このままでは良くないと国家資格も勉強して取りましたが、せっかく就職しても悪口を言われるから、働いている時間が長く感じるからという理由で辞めてしまいました。働くのが嫌だという理由で結婚相手を探し始め、60万も借金があるのにそれを結局彼氏に支払ってもらい結婚もしましたが、旦那に対して別の人が良かったかも、もっと自分の人生を生きれば良かったなど最低な考えを持ってしまいます。どこまでクズなんだろうと思いますが、自覚がなかったようで最近自分が最低な人間だという事に気づきました。現在、妊娠しています。わがままな子供が妊娠しているような感じです。自分の行動を戒め今まで迷惑をかけてきた人達に対して償うにはどう生きればいいでしょうか?

有り難し有り難し 19
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ