回答したお坊さんにもう一度、質問に回答を
コンバンハ!自分がまだまだ弱くて臆病で負け犬なところがある。紫陽花あーちゃんです。
メンタルの耐えれないところや愚痴を人に言いそうになりました。
自分を帰るというのは、ダイエットや仕事、学校、家でもやらなきやならないのだな…。と思っていました。書きなぐるより、メンタルや捉え方を学びにきました。
私のときは、次のようになります。
〇〇は、こうだから、こうなんだよねとか。
人に怒られたときや馬鹿にされたとき、ひどいことを言われたときの処理は、気にしない。言ってもらえるだけいいんだから、ありがとうと言いなさいと教わりましたが、ここの“ハスノハ”では、どんな回答してますか?
どのお坊さんでもいいし、こないだの同じお坊さんでも大丈夫です。
どうぞ、渇!を入れてくださいm(_ _)m
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
モヤモヤから離れられる方法や場所をたくさん持っておくことだよ
ん〜なんでもかんでも、私のためだったのね、嬉しい、ありがとう、とは思えないときもあるよね。
そんな心が広くない。理不尽にも、バカにされたり否定されたりしたら、腹も立つし、愚痴も出る。当たり前の感情だよ。でもイライラばかりじゃ、しんどい。そこの感情をどう処理するか。
誰かに愚痴って解消したり、そのモヤモヤから離れられる方法や場所をたくさん持っておくことだよ。
そんなことも忘れて夢中になれることはありますか? (私は図書館に篭ったり、スポーツで汗を流したり)そんな気分転換できるものを持ち、気持ちを変えていきましょう◎
瞬間湯沸器
百尺竿頭更進一歩
百尺竿頭更進一歩
禅問答にある言葉です。問答では、この前後に言葉の遣り取りがあります。これをきちんと解説しようとすると長文になりますので、下記のサイトの解説を参照してください。それ以外にも、この言葉を検索すると、結構を解説している記事が有ります。参照して見てください。も専門用語が多くて、ちょっと難解な説明もありますが。
https://zenken.aichi-gakuin.ac.jp/zen/aword/h19.html
百尺竿頭(ひゃくしゃくのかんとう)とは、ながーいながーい竿の先端のことです。一尺は約30センチですから、30×100尺=三十メートルの高さの竿の先の頭のことです。ながーい竿の先に立ち、普通なら、もうその先は無い。そこを「更に一歩を進めよ。」と言っています。
この問答で言う百尺とは、仏道修行そのものを指しています。 「百尺の修行をして、竿頭に安坐し、悟りの境涯にいる人は、本当に悟った人とはいえない。頂点を極めたとしても、そこにとどまっていないで、さらに向上を目指すべし。」ということを問答を通して伝えようとしています。
修行や悟りと言ってしまうと、異次元の世界の話に感じるかもしれませんね。でもね、我々の日常にも似たようなことはありますよ。自分で自分の限界を勝手に定めて、「もう駄目だ。これ以上出来ない。」といって、行動しない自分を正当化してしまうことがあります。紫陽花さんもそういうことがあるでしょ。
確かに「自分は駄目だ、何も出来ない。」と悲観したり、自分を卑下したくなったりすることは誰でもあります。でも、そう決めつける必要は無いですよ。まずは、行動を起こすこと。チャレンジすること。自分を少しでも、前進させようと取組むこと。一歩でも。二歩でも、前に進んでみよう。