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まつ毛を抜く息子(>_<)

回答数回答 1
有り難し有り難し 9

はじめまして。

ご相談があります。

息子4年生のまつ毛を抜くクセがあります。学校に行くようになってからです。
授業や習い事の時間、集中力が欠けている時に抜いているようです。

まつ毛は目を守る役割があることを伝えやめるように促しましたが生えてくると無くなっています。先生方にも見かけたら止めるようにお願いして様子をみて見守っています。

眼科も耳鼻科も抜いちゃダメよ^_^
で話はおしまいです。

『なんか、抜いちゃう』
笑って息子は言うのですが。
私はできればやめてほしいです。
このままでもよいと思いますか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

つけまつける

こんにちは。
まつ毛も髪の毛も短いたんたん短毛の丹下覚元です。
ダイヤルマスカラ回せ!!天に向かって塗りたくれ!と言いたいところですが男子ですからね。
まつ毛の長い男子はモテますヨ。
年頃の男子は「モテる為」にはモチベーションが上がります。
釣らなきゃダメです。
知人の若いカワイイ女子を連れてきて説得するとイイですよ。
若い同世代女子からリアルに言われるとしょげしょげになります。
実際にまつ毛の長い男性も女性も魅力的です。
目力がアップだからです。
ネットの写真でまつ毛のあるイケメンとまつ毛の薄い私の貧しい顔を並べて比較して見せることです。
「あー、この顔は可哀想だわ。」
「まつ毛ねえじゃん…。」と息子さんに見せることです。
癖になると全部抜いちゃいます。毛根が死滅すると生えない、栄えない、顔映えない。
そこで危機感をあおる大作戦です。
まずそこで予防線を張りましょう。抜けきったらまつ毛のエクステ大作戦と、つけまぱみゅぱみゅ大作戦で保険、で完ぺきです。とどめはコレよ!!♡
http://www.xn--k9j8bxhma7z5bb0178f8l4av3d475d.jp/

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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