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命の選別

回答数回答 1
有り難し有り難し 9

私は妊娠中トラブルが起きて緊急帝王切開で出産しました。
迅速に対応して頂いたので幸いにも障害が残る事なく産まれてきてくれました。
死産や医療的ケア児になる可能性もあったので、神様に生かして貰ったんだとその時思いました。

先週、伯父が脳卒中で倒れ術後数日経ちますが意識がまだ戻りません。多分ずっとこのままなんじゃないかと心配しています。
私の事で母から相談を受けていた伯父にも相当心配をかけたので申し訳ない気持ちでいっぱいです。
夏に子供を見に来てくれた時以来会っていませんが、こんな形でお別れしなくてはいけないかと思うと悲しいです。
人間の命はあっけない物だなと虚しい気持ちになっています。と同時にもう少し強く生きなければいけないなと思いました。
母は「神も仏もない。」と絶望しています。

医学的には、急変時の生きるか死ぬかは時間が決め手になるのだと思いますが、私は神様や仏様の采配も影響しているんじゃないかと考えます。
仏教的には、こういった場合の命の選別はありますか?
子供が無事に産まれて来てくれた事は嬉しいですが、それからは悪いことばかり起きるのでとても辛いです。そこで一生分の運を使い果たしたのかもしれません。私が男の不幸を願ったからバチが当たったのかもしれません…。当てるなら私に当ててくれれば良かったのに…。

でも、生かして貰った命をしっかり育てる事が今の私に出来る事なので頑張るしかないですよね…?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【追記あり】仏様は人間。

ご相談拝読しました。ご出産おめでとうございます。そして伯父様にはお見舞い申し上げます。

さて、生きるか死ぬかについての神様や仏様の采配や影響や命の選別はありません。いや、神様はどうかわかりませんが仏様はまずありません。そして仏教的に見るならば(運命の支配者としての)神様ということ自体ありません。

だからどうぞご安心ください。そして同時に、運命論や神の采配ではないからこその現実の厳しさを受け止めていきましょう。

仏様と言うのは真理に目覚めた人間です。人間と言う意味では私たちと変わりません。最初の仏様はゴータマ・シッダールタという人間です。そしてゴータマ・シッダールタが目覚めてブッダ(仏様)になったのです。ゴータマ・シッダールタは釈迦族だったので釈尊ともお呼びします。釈尊以外の仏様は目覚めた真理の人格的比喩表現と捉えるとよろしいかと思います。

もちろん信仰の形として「生かしてもらった」「生かされている」と感動をもって感謝することは大いにアリだと思いますが、それは数々の条件が奇跡的にととのって生という現象が成立しているということであり、何か「生かす主体」がどこかに存在するわけではないのです。

この主体を想定してしまうとそれこそ自分にとって都合が悪い事が起きた場合には神罰などを思い浮かべ主体性を失ってしまいますし、あるいは(神による)選民思想的にすら考えてしまう恐れがあるとも思います。

「バチ」も「バチをあてる主体」がどこかにいるのではなく、そう考えてしまうことを自分がしているという自業自得の心理作用と捉えるとわかりやすいのではないでしょうか。

これからは親として人生のどんな境遇にも主体性を奪われず、力強く歩んでいってくださいね。お幸せに。

【追記】
吹雪さん覚えてますよ(^-^)
以前は混乱の最中に厳しい事を申し上げました。でも吹雪さんは凄い、ちゃんと立ち直ってきました。
もちろんこれからもまた挫けることもあるでしょう。でも今回あなたはあなた自身の心の底に「本当のことを求める願い」があり、そしてあなたの環境にはその願いに気づけよという促しがあることに気づけたのではないでしょうか。
自分の願いと外からの促しを見失わなければ何があっても大丈夫。ボチボチいきましょう。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

吉武文法様
お礼が遅くなってしまって申し訳ありません。
ご回答して下さった事が理路整然としていてすとんと納得出来ました。
凄すぎて返す言葉もありません。…何ていうか凄いお坊さんですね。

過去の相談でもお世話になりましたが、覚えておられますか?
あれからもだえ苦しんでる状態からは脱することが出来ました。
まだ元の自分には完璧に戻った訳ではありませんが、知られてしまった事を「あーあ。自分の理想通りにはいかなかったな。でもしょうがないか。これからの人生腐らずやり直そう。」くらいに思えるようになってます。それでもやっぱり何も知られてない安全圏の状態への未練は捨てきれず悶々してしまう時はありますが、限りなく普通に近い状態です。そもそも普通って何なのか謎ですが…。
ヘアサロンやエステやショッピングに行きたい欲が沸いてきたのでもうドン底精神状態ではないと思うのです。
こうなれたのは、吉武様も含めhasunonaのお坊さんたちのお蔭だと思います。ありがとうございます。
子育ても今からがスタートの様な物で、他のママ達に比べかなり出遅れていますが自分のペースで頑張ります。
それと、伯父の意識が戻りました。これから徐々にリハビリもしていくそうです。
本当にありがとうございました。
また何か悩むことがあればよろしくお願いします。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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