つまり私は普通じゃない
容姿などの見た目で判断されることにコンプレックスを感じ悲観的になっている人は結構いるみたいだけれど
世の中には見た目で判断出来ない人もたくさんいるのであまり自信を無くさないで欲しいなぁと思う
私は近視だけど見えない訳ではない
見えているので見た目もそれなりに分かる
でも人には目判断や耳判断があり
私は後者の方
見た目で人を判断するのが苦手
ほとんど声で人を判別している
なので「百聞は一見にしかず」じゃなく
「百見は一聞にしかず」となる
大変失礼ながら
せっかくお坊さま方が写真を掲載されているけれど
正直みんな同じに見える
一生懸命みんなの特徴を探して覚えようとしてはいる
でも正直みんな同じに見える
大して変わらない
みんなお坊さまだ
多分お坊さまだ
少数派かも知れないけれど
多分そういう人もいっぱいいると思うから
必要以上に見た目にコンプレックスを感じなくても大丈夫なんじゃないかなと思っている
磨くならやっぱり中身
私も中身には全然自信は無いけれど
なんとかせにゃならん!といつも思っている
せっかくいただいたアドバイスは大切にしたいし
出来る範囲内にはなるけれど精一杯努力したい
あ"~!!!とか思うこともあるけれど
それでもまた私はhasunohaのお坊さまに会いに来る
ここでは耳判断は役に立たないし
目判断も出来ない
そういう面では不便だけれども
いろんな考えのお坊さまがhasunohaには揃っているだろうと信じているから
またあきらめもせずめげることなくやって来る
私は不完全な人間です
完璧にはなれません
目指せ普通!です
でも普通にもなれないみたいです
『普通って何なのでしょうか?』
それが質問になります
みんな持っているものさしは違うはずなのに
親に「もっと普通にして!」と言われてしまいます
『普通って何なのでしょうか?』
・仕事は資格より素質 ・鬱になろうが5才児ぐらい好奇心旺盛 ・順風満帆な人生より七転び八起きぐらいの人生がちょうどいい
職場で久しぶりに再会した人に「やっぱり~!」と言われることが苦痛
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【普通】あまねく通ずる
【普通】文字通り、あまねく通ずる事です。
いつでも、どこでも、だれにでも、何に対しても一貫している事象の事を指す言葉。つまり、はるか2500年前に釈尊が発見した真理、自然の道理。
”目指せ普通!です”
”でも普通にもなれないみたいです”
ホントにそうですか?
あなただけ息をせずに生きていける?
あなただけ水を飲まずに生きていける?
あなただけ鳥のように空を飛べる?
あなただけ魚のように水の中で生きていける?
できないでしょう(笑)みんなと同じだねー。
そして、あなたは順調に老い、病み、死に向かって生きている。
普通になれないどころか、
どこをどう見ても普通の只中で生きているじゃないですか。
”親に「もっと普通にして!」と言われてしまいます”
これは「一般常識を疎かにするな」という意味でしょう。
<追記>
”まだ生きてます” ”そしてhasunohaに帰って来ました”
やれやれ(笑)
”私の親の言う「普通」は「早く健常者になって」という意味”
”つまり、自分の娘が精神障害者であることがイヤ”
”というか、昔から障害者全般が嫌い”
なるほど。
ようやくあなたの置かれている状況が掴めてきました。
そりゃあ、さぞあなたも心外な思いをされたことでしょうね。しかも、心外な事をいう張本人が自分の親ともなると、あなたの落胆ぶりはきっと僕なんかには想像しきれない。
ただ、ひとつ言えることは、あなたの障がいを受け止めきれない、障がい者全般が嫌いというのは、あの人たちの問題であって、あなたの問題ではないという事かな。
健常者と比べて障がい者は苦労も多いだろう。
ただ、事実としてあなたは至って”普通”だ。
生モノの人間が70億人もいるこの世界で、みんな一律健康優良児ばかりなわけがない。大半の人がどこかに何らかの疾患を抱えているものだ。むしろ、これがいわゆる”普通”だよね。私は精神疾患を患うあなた以上に、それを未だに受け止めきれずにいる親さんのほうが心配だ。
ところで、「コウフウ」って?
(精神的)独立・決別~離れる
ご相談及び先の回答への御礼コメントを拝読しました。
「普通」とは語義は転落院師の言うように「普く通ずる」ということでも、その言葉を使うのは実際には人ですから、その人にとっての「普通」ということになってしまいますよね。
その人にとっての「普通」を押し付けられて苦しい思いをしている人からの相談は過去にも沢山あります。問答から「普通」でワード検索してみてください。
さて、親御さんの価値観や家庭における状況について以前から記してくださっていますが、その中において豊島さんが苦しい思いをしないというのはなかなか難しい様に思います。しかし出るのも精神障害等の事情があって不安な面もあるとのこと。やはりこの辺がポイントでしょう。
親御さんの普通に豊島さんが合わせる事も、豊島さんの普通に親御さんを改心させることも正解ではない、だから影響されずに適度な距離感をもって生活すればいいということになるのですが、現実的には一つ屋根の下では限界もありますね。
さて、世俗的な価値観ですが人生100年時代と言われます。親御さんがあと30年生きるとします。そうすると豊島さんはその時70になります。どうでしょうか?ゾッとしませんか?このままで大丈夫ですか?
どうしろという事は私には言えません。しかし、物理的・経済的・そして何より精神的に親御さんから「離れる」ということがないと、たとえ「普通」は人それぞれと頭の中で理解はできても、実際には相手の価値観に心が脅かされることが多々あろうかと思います。
以前に「愛情と束縛」についてのご質問もありましたが、何か豊島さんは親御さんにまだ縛られていると私は感じます。
親の望む良い子でいなきゃ、親には感謝しなきゃ、親は尊敬しなきゃ
という観念に抑圧されていませんか?
「親と子」を超えて「人と人」として出会い直す時が精神的に「離れる」時ではないでしょうか。そのために物理的・経済的に離れるということは一番有効な方法ではあるのですが、それができなくとも何か方法はあるのかもしれません。
第〇次(最終)反抗期
でもよいのでは?徹底的に主張する。
「私はここにいる」「私は一人の人間だ」
豊島さんの拳を突き上げ叫びましょう。レボリューションロックです(何かわけわからない感じに熱くなりました)
難しいですねー
拝読させて頂きました。いつもあなたの思いを読ませて頂いております。
あなたの感性やセンスや思考は非常に面白いと思います。あなたが様々試行錯誤なさっていらっしゃる姿も好感が持てますね。
お坊さんは坊主アタマですからみんな同じように見えますよね。
それでも坊主仲間に入るとそれぞれだいぶ違いがありますし個性もありますよ。
質問の「普通って何?」ですが、普通はありそうでなかなか無いものですよね。平均値ということでしょうか、他と差異がないということでしょうか、とはいえそれは机上の空論かもしれませんね。
普通であろうとすることや普通であり続けようとすることはとても難しいです。というか不可能かもしれませんからね。
また他者が求める普通のことも実はそれぞれブレていますし、その人の価値観に左右されています。
ですから普通であるということは自然体であること、何かにとらわれないことなのかと思います。
私達は普通であるように思えて実はみんなエイリアンかもしれませんからね。周りの人に合わせようとしてもそれは無理がかかります、人に迷惑かけないようにと思っても自ずと人やものごとのお世話になっていますからね。
ですから無理に普通を求め目指すよりも今生きる自分自身を認めて素直に生きることが望ましいのではないでしょうか。
それが試行錯誤を繰り返しながら仏教の目指す中道、とらわれないのないニュートラルな道となると思います。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様、お返事ありがとうございます。
私は昔からよく「変わってるなぁ」と言われますので、他人からの「変わってるなぁ」は褒め言葉と思うようにしています。
そこでクヨクヨしていても仕方がないので、そういう褒め言葉も含め、叱咤激励されることは真っ正面から受け止めたいですし受け入れたいと思っています。
正直でいることは簡単ですが、普通でいることは難しいです。
なので、せめて「ありがとう」と「ごめんなさい」が素直に言えるようにありたいと思っています。
いつまでたっても青臭いですが、それが私の「自分らしさ」だと思うので、いろんな意見を参考にしながら、青臭く生きていこうと思います。
追伸
私は不器用な性格ですが、手先だけは器用です 笑
1cm×1cmの紙で鶴を折ってみて下さい。
性格は別にしても、無事に鶴が完成したら、手先は器用なんじゃないかな?と思っています。
転落院様、お返事ありがとうございます。
まだ生きてます。
そしてhasunohaに帰って来ました。
”親に「もっと普通にして!」と言われてしまいます”
これは「一般常識を疎かにするな」という意味でしょう。
残念ながら、ちょっと違います。
転落院様のおっしゃる「一般常識を疎かにするな」という意味なら、私も納得ですし、「はい!」と言えます。
でも、私の親の言う「普通」は「早く健常者になって」という意味です。
つまり、自分の娘が精神障害者であることがイヤなんです。
というか、昔から障害者全般が嫌いなんです。
偏見や差別だと分かるから、「はい!」と言えないのです。
そういう考え方は間違っていると私は思うので、逆に、いい意味で親がお手本となってくれていると思うようにしています
有り難いと感じています。
hasunohaを閲覧している方々の中で、もし、この言葉の意味がお分かりになるならば、すごーく近くに住んでいますよ!のサインです。
「あの人はコウフウやな!」
あえて漢字表記を避けました。でも、分かる人には分かると思います。
最近、名称は変わりましたが、近くにある大規模な精神科専門病院のことです。
私は親にしょっちゅう言われています。
「あんたコウフウやな!」
「見るからにコウフウ!」
「コウフウみたいなことせんといて!」
まあまあ最近のことですが、まだ未解決の殺人事件が起きた時も、「絶対犯人コウフウの人やで!」「だからここらへん(この地域)は怖いねん!」「だから交番も(新しく)出来たんちゃう?」と堂々と言っています。
それが、私の親の常識です。
その視点から見た「普通」です。
それ以外は「異常」なんです。
私には、その親の考え方を改めさせる自信がありません。
もう70歳前後の両親ですので、考え方を改めさせることは無理だと思っています。
ですので、親に「もっと普通にして!」と言われても無理です。
私にとっては、私が普通なので、別に障害者でも自分が異常だとは思っていません。
これが今の自分なんだなと思っています。
出来る限り、親の言うことに従って生きてきましたが、私にも「おかされたくない領域」があります。
転落院様のおっしゃる通り、私は普通なんですよ、ごく普通に、それなりに精一杯生きていますよ!
でもうちでは違うんです。普通じゃないんです。
この虚しさ、伝わりますかね…
伝わらなかったら、単なる私の言葉足らずです。
すみません。
これが私の家の現状です。
追伸
私の甥は未熟児で生まれてきて、障害があります。
孫は可愛い。
親も孫が遊びに来るのを楽しみにしています。
でも、「泊まりはキツイなぁ」と言っています。
毎回、日帰りだから対応できるようで、帰ったら…私と同じ扱いになります。
「アイツは気違いや」
「すぐ奇声をあげる」
「やっぱり普通校は無理やな」
これって、やっぱりおかしくないですか?
転落院様、追伸ありがとうございます。
「コウフウ」ですか?
(編集部より。規約により投稿の一部を修正しています)
そこは重い障害を抱えた患者さんが入院していて、通院している患者さんも、親が指摘するように、障害者なんだなぁと見て分かると言えば分かります。
その最寄り駅の歯医者さんで母がパートで働いていたのですが、患者さんがたくさん来た日には、必ず、わざわざ「今日はコウフウデーやった!」と報告してくれます。
他のスタッフも、やはり「コウフウデー」という言葉を使っています。
それぐらい特別な存在なんです。
私の精神疾患が悪化していっている頃には、イライラさせると「もう!コウフウに入るか!」と言われていました。
今、私がここにいないことになっているのも、自分の娘が精神障害者であることがイヤだったり、誰にも知られたくなかったりで、仕方ないので私は存在を消すように生きています。
なので、普通は難しいと思います。
吉武文法様、お返事ありがとうございます。
熱さが伝わってきました!!!
確かに私はここにいるのですがね…
私も睡眠薬による逆行性健忘症の症状がなくなれば、親から離れた方が良いと思っています。
ちょっと前には、野菜を切って、お肉と一緒に炒めて、焼きそばを作って食べました。
食後にはフライパンやお皿等ちゃんと洗ってタオルで拭いて、机の上に並べて乾かしていました。
もちろん全く記憶にありませんが…
あ~ごはん食べる時間だ~と思って作って食べたのでしょうね。
そういうことをしなくなったら、自立を目指します。
でも…こんな扱いをされていますが、両親からも叔母からも将来の介護は頼まれているので…
ほどよい距離を保ちながらの自立になりそうです。
とりあえず、今はひたすら頑張るのみ!です。