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昨年息子が自死しました

回答数回答 2
有り難し有り難し 65

心がもちそうにありません。

このまま、気が狂ってしまえば良いのに…
と、今おもっています。

昨年28歳の息子が
自死しました。
県外に寮として与えられた
六畳ほどのワンルームマンションの一室が
息子の最期の場所でした。

1年経ちました。

1年前は、時間が自分の心を癒してくれる。

と微かな希望がありましたが、
1年たった今、
息子が居なくなってしまった事実を
事ある毎に思い知り、
精神科の薬が手放せない状況。

これからも毎年、
思い知る。
そう思うと生きていくのが辛い事だと
思うようになりました。

息子を先に自死という形で失ってしまった私は
前世で一体どんな悪い事をしたんだろう。

息子を先に自死という形で失ってしまった私は
今世で一体どんな悪い事をしたんだろう。

でも、
だとしたら、息子ではなく
私の命で償わせて欲しかった。

どうしてこんな事になってしまったんですか?
私はどう生きて行けば良いのですか?
私はどう人生を終わらせれば、息子に謝れますか?

教えて下さい。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一緒に考えましょう

ご相談拝読しました。

息子様のご命終に謹んで哀悼の意を表します。南無阿弥陀仏

さて、時の経過にわずかながら希望を見出していたとのこと。この一年は自責などとても辛い苦しみの中を歩んでこられたのではないかとお察しします。

大切な人を亡くされた方の喪失による反応は様々です。この反応などをグリーフと呼びますが、それについては例えば下記をご参照ください。

リヴオン「グリーフについて」
https://www.live-on.me/grief/

息子様のご命終はけして乗り越えて(なかったことにして)しまうものではなく、様々な反応を抱えながらも自然に共存していくものなのだと思います。なので一年などの区切りや節目でどうにかなるというものでもないのかもしれません。

各地や各団体で同じような境遇の方のつどいも開催されています。例えば下記のような取り組みもあります。

自死・自殺に向き合う僧侶の会 『いのちの集い』
http://www.bouzsanga.org/share.html

さて、前世により今生の全てが決まるという運命論(あるいは宿作因説)や、我々の経験するすべてが全知全能の神の意志に依存すると主張する説(尊祐説)、あるいは全ては偶然だとする無因無縁説などは釈尊により否定されています。

さらには現世において「全ては私のせい」「〇〇のせい」とする在り方もやはり釈尊には否定されるものであるでしょう。

息子様のご命終については自責や後悔の念が絶えないのだと思いますが、最終的には「お子様が選び取った」という事実は受け止めて尊重しなければいけないのかもしれません。
お子様は人生の意味を命をかけてまで強く激しく問うたのでしょう。

その求道を「私のせい」としてしまうのは息子様も浮かばれないのではないでしょうか。

あなたにできることは息子様がそうしたように、あなたがあなたの自身の人生の意味を尋ね、息子様と同じではなくあなたの自身の答え・応えを出していくことではないでしょうか。

その求道に息子様の存在は寄り添ってくれることと思います。もちろんhasunohaも共に考えさせていただきます。

またいつでも何度でもご質問ください。お気持ちお聞かせください。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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あなたと息子さんのご縁は永遠ですからね。

拝読させて頂きました。
大切な息子さんを突然亡くされてあなたは深い悲しみの中におられるのですね。あなたのそのお悲しみそして後悔の念を心よりお察し申し上げます。

息子さんは様々なことが重なりあいその生命を絶たれたのかと思います。それはあなたのせいではないと思います。息子さんはその人生を一生懸命に生き抜いていかれたのではないでしょうか。様々な障がいや苦しみもあったかもしれません。また病をわずらっておられたのかもしれません。社会の中で人間関係でも辛い思いをなさっておられたのかもしれません。

その中で一生懸命自分の人生を生きていかれたのかと思います。その息子さんの人生を認めてあげることも大事なことかと思います。

息子さんへ心を込めてお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

息子さんは今は心穏やかに安らかになさっています。仏様の前で沢山の親しい方々やご先祖様方と共に安心していらっしゃいます。そして心穏やかにご成仏なさっておられます。息子さんはあなたや皆さんを優しくお見守りなさっておられるでしょう。

悲しみは尽きないでしょうけれどそのお気持ちを息子さんに手を合わせて真心込めてお伝えなさって下さいね。息子さんはあなたのお気持ちをそのまま受け止めて下さいます。そしてあなたのお心に寄り添っていて下さいます。
いつ如何なる時もあなたと息子さんは共にいらっしゃいます。

あなたと息子さんのご縁は永遠ですからね。

またこの場所でもあなたのお気持ちをお聞かせください。この場所はいつもあなたに開かれています。
そして吉武 師がおっしゃるように例えば自死遺族の分かち合いの会等にも参加なさってみてはいかがでしょうか?安心してお話しできる場所であなたのお気持ちをゆっくりとお話しし、又他の方のお話にも耳を傾けてみて下さいね。
http://www.bouzsanga.org/share.html

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

お礼が遅くなってしまって、申し訳ありません。

回答を戴き、有り難いと思う気持ちと
未だに続く喪失感。
なんと言葉に表せば良いのかわからない。
正直言って、すぐに気持ちが晴れた訳でも
明るい気持ちになれた訳でもありませんでした。

ただ、息子が選んだ道。
尊重しなければならない。

息子は一生懸命生きた。

その言葉は、私の中にとても残っていて、
心に残るのと同時に
尊重?一生懸命?
なんて、素直に受け止められない自分がいて…
相談してしておいて、丁寧に回答戴いたのに本当に申し訳ないです。
ごめんなさい。
でも、その言葉はずっと私の中に刻まれていました。

そして、今日3月11日震災のあった今日。
同じ自死遺族の方のブログに

生きたくても生きられなかった方に申し訳ないと思う。
というような言葉があって
その言葉を目にした時に
違う!
って、思ったんです。
息子は、自死を選んだ人達もみんな
生きたくないから死を選んだんじゃない。
だから、生きたくても生きられなかった方に申し訳ないというのは、息子に対して、
自死せざるをえなかった人達に失礼な気がしたんです。

その時に吉武和尚様の尊重という意味。
Azuma和尚様の一生懸命という言葉が、
ふっと思い出され、なんだか…
うまく言えないんですが、私の中に
スッと吸い込まれたというか、
腑に落ちたっていうのか。

悲しみは、まだまだ続くのだと思います。
が、
息子は一生懸命生きた。
生きたいと願いながらも、生きていけなかった
その結論を私は尊重する気持ちを持てたというのは私にとっては、大きな一歩になります。

ありがとうございました。

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