告白します。私は過去に人を呪いました
いつもお世話になっております。
たった今思い出した事なんですが、私は過去に、とある人を
呪ってしまったことがあります。
当時、ある形で私のサポートをしてくれていた人なんですが、
元はと言えば私が自分の持っている先天性障害を隠して言わず、
そのせいで気づいてもらえず、厳しく叱責を受けたことから、
インターネット等に掲載されている、蝋燭や生卵などを使った
やり方で、やってしまいました。
今、その人が難に遭っているとか、大病をしているとかいう
噂は聞いていません。
むしろ、叱られた後、泣きながら別の支援者に相談したら、
その人は、その支援者から説き伏せられ、
「この子がそのような特性を抱えているとは、気がつきません
でした、自分の手落ちです」と詫びてくれ、今では良き理解者
となってくれています。
強いて言えば、最近、歳のせいで運動能力が落ち、
趣味のスポーツでボールをあまり飛ばせなくなった、
というような話は聞きましたが…
私は地獄に落ちるんでしょうか。
私は日頃からは自分や他人の為ももちろん、
道端で動物が死んでいても、余裕がある時は、街路樹の下まで
蹴って遺体を運び、人目もあって恥ずかしいんですが、
合掌して小声で「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」と
唱えています。
正直なところ、いま怖いです。
不気味な質問で申し訳ありません。
発達障害持ちつつ、他の 障害者の人が怖い… でもその考えは今や時代遅れ。 若い人たちは優しい。 私も変わらないといけない。 がんばる。
お坊さんからの回答 2件
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多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今の気持ちが大切です
こんばんは。今はその方とよい関係を築かれたとのこと、安心いたしました。障害についてもきちんと謝罪されてよかったと思います。よき理解者でもあるとは本当に素晴らしい出会いでした。
最初のつまづきで、「呪う」という行為をされたのですね。「中部教典」というお経の中に、「過去を追うな、未来を願うな」ということが書いてあります。過去は過ぎたこと、変えられないこと。だから過去に縛られたり、わからない未来を思い悩んだりして、今をないがしろにしてはダメですよ、ということです。
かわいそうな遺体にちゃんと南無阿弥陀仏ととなえているあなたが今のあなたです。阿弥陀さまは、南無阿弥陀仏ととなえる者は皆、極楽浄土に救いとるというお誓いをたてられて阿弥陀如来さまになられました。
これからは、できることをして、自分の極楽浄土への往生を願う南無阿弥陀仏をおとなえ下さい。過去は過去。繰り返さないことです。未来を恐れ悩まず、阿弥陀さまにお任せしましょう。
誰でも悪いことをします。今してなくても悪いことをする可能性を秘めたのが人間なんです。
あなたは地獄に落ちたりしませんよ。だから今を大切に生きて下さい。南無阿弥陀仏
拝読させて頂きました。
あなたは人を呪うことの愚かさやその呪うことが如何に効果がないかを学ばれたのですね。
呪ったとしても実際には通じないのです。
そして今は様々な生き物への慈しみや功徳を積んでいらっしゃるのですからあなたは必ず清い心で仏様に導かれることでしょう。
これからもそのような善業を積みながら信仰を深めて下さいね。
質問者からのお礼
【福田至誓 先生】
ご回答ありがとうございます。
過去を追わず、未来を願わず、かつ今を大事にって…難しいですね。
意味としては、未来に何か得るにはどうすべきか真剣に見極め、それに準ずる行動を、今、
起こしなさい。ということでしょうか…
阿弥陀様、ありがたいですね。本願ぼこり状態にならないよう精進精進、ですね。
【Kosyo Kuuyo Azuma 先生】
ご回答ありがとうございます。
バカなことしたと思ってます。
卵ももったいなかったし。
次は呪い以外の発散法を模索したいと
思います。