この世にいる事が辛い
自分がこの世にいる事が辛いです。
不登校で親や祖父母に迷惑ばかりかけてる、普通の事がちゃんとできない、努力しようとしてない、嬉しい楽しいを知っている事、この体に自分がいる事に罪悪感を覚えます。
罪悪感を覚えると同時に自分なんかが愚痴を言ってはいけない相談してはいけない、自分が1番悪い、自分より辛い人がいるのに助けを求めようとするお前は人間以下だ、甘えるなという自分で言っている罵倒が頭から離れません。
本当のことなのにそれから逃げようとしている自分がいて情けなくなったりこの世から消したくなります。
死にたくなっても親に迷惑がかかるという言い訳で死のうとしない自分がいて、それに対して罰を受けなければならない気がします。
この世にいる事が自分への罰でしょうか?
また、罪悪感を感じるのに逃げようとするこんな情けない自分をどうやって変えればいいんでしょうか?
稚拙で愚痴のような文章で、すみません
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
この世に生まれたことが有難いことなのです
仏教では四苦八苦を説き、人生は苦しみだと説きますが、そこからの解脱を説くわけです。
法然上人は、
「何度も生まれかわり死にかわりを繰り返して、生まれることの難しい人間としてやっとこの世に生まれ、長い時間をかけてようやく仏様の教えに出会うことができ、またお釈迦様が生きておられる時代に居合わせることが出来なかったのは残念だが、仏教が普及している世の中に生まれたのは喜ぶべきことである。」と申されました。
こうして仏教に触れられたのが有難いことではないですか?
自責の念はつらいものです。私も若いころは自分を責めてばかりいました。
何かに逃避したこともありました。精神疾患にまで追い詰められたこともありました。
いろいろあったけれど、生きていればいいこともあるし、何とかやっています。
仏教に触れ、信仰を深めていくことも大事なことではないですか?
罪や罰ではありません
拝読させて頂きました。あなたは奇跡的な不思議な巡り合わせや恵みを受けて生命を頂き今生きていらっしゃるのです。
あなたが生きていらっしゃることは恵まれたことですから決して罪でも罰でもありません。当たり前のように生きていらっしゃることは実は当たり前のことではないのです。あなたの生命は生きていらっしゃるだけで先ず尊いことですし、かけがえのないものです。今まであなたは様々な方々からあたたかく育まれていらっしゃいました、そしてあまたの生命を頂きながら生きていらっしゃいます。
それは紛れも無い事実ですよね。あなたの周りには沢山の方々がいらっしゃいますからその方々あってこそのあなたであり、あなたあってこその皆さんなのです。
生きていれば様々なことに巡り合い辛いことも苦しいことにも直面して深く傷つき疲れ果てることもあります。何故このような思いをしなければならないかと沈み込み立ち直れないこともあります。
そのような思いを抱えたながらでも私達はいつもいつも様々な恩恵を受けながら生きております。
それはあなた自身が先ず尊いからですし、生きる意味や目的があるからです。
人間ですから辛いことがあれば嫌になり自暴自棄になることもあるでしょう、それでもそれは永遠には続きません。様々な巡り合わせや出会いの中で必ず転機が訪れるのです。そして暗中模索しながらもあなたにとって大切なものや生きる意味や目的を見つけたり興味関心が湧くことにも出会いますし、様々な経験を積んでいきながら身をもって学んでいくこともあります。
それはあなたの人生の中でもありますし、あなたが一生を終えた後にも続いていくことでしょう。
とはいえ先の長いことですから決してあせらないで下さい。先ずは目の前にあることや自分の足元にあることから見つめなおしてみましょう。
あなたがこれからしっかりと見つめなおしていきながら一つ一つ大切なことを実感して学んでいかれて心豊かに成長なさっていかれますようにと切にお祈りさせて頂きます。
そしてあなたを心から応援させて頂きます。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
「生きてれば何とかなる」、そうですよね笑
こころが軽くなりました
本当にありがとうございます。