何のための成功か
仕事で目標としていた部署に配属されることになりました。私の会社では四年間したっぱとして修行してから希望の部署に配属されます。私は半分の二年間で希望の部署に入ることができました。
この二年間の生活は仕事に全て捧げてきました。暇があれば勉強をしたし、誰より現場で体を張ったし、弱音は絶対に吐きませんでした。
とにかく仕事で成功すれば何かが分かると信じて自分を奮い立たせてきました。
しかし実際に目標を達成することができて疑問が生まれました。
結果自体は非常に嬉しいのですが、同時に心の中はむなしさでいっぱいでした。
目標を達成したところで誰かに褒められる訳ではないし、この二年間仕事ばかりで周りに喜んでくれる人はいないし、また次の目標に向かっての努力が始まるのかと思うとうんざりします。
正直この二年間の生活は辛くて辛くて心も体も壊れてしまいそうでした。
この二年間楽しかった記憶はありません。ずっと不器用に過剰に努力してきました。希望の部署に入ることができたのは、積み上げてきた努力の量を思うと当然とすら思えてしまい、余計にむなしくなります。
生き甲斐や心のよりどころがほしいです。このままでは、心が壊れて仕事をする機械になってしまいそうです。
教えていただきたいのは、このままの生活をしていてもいいのかということです。今の辛さは一過性のもので、若者らしいただの勘違いでこのまま突き進むべきか。それとももう本当に限界がきていて新しい生活の仕方を考えるべきなのか。
新しい生活をしなくてはならないのならどうしたら良いのでしょうか?新たな習慣や出会いはどこから始まるのでしょうか。
抽象的な質問で申し訳ないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
満足とは
状況はどれだけ満足させても、縁によってコロコロ変わる。
まさに今、あなたが感じている虚しさはこの真実に直面している証拠だ。
状況の満足を求めることは決して悪いことではない。しかしながら、どんなに満たしても満たしても何かの拍子でいっぺんにひっくり返ってしまうんだという性質をよく知っておく必要がある。これを理解した上で人が本当に求めるべき満足は、自分という存在そのものへ満足だ。
存在そのものの満足を獲得したら最強ですよ。
この先、どんな目に遭おうともどんな境遇に置かれようと生きていける。
この先、どんなに富を得ようとも称賛を受けようとも決して浮かれない。
さあ、本物の満足を探そう!!
<追記>
”私は仕事以外に居場所を見つけられるのでしょうか”
どうでしょうね。ただ、あなたは今までにゴールだと考えていたところは、辿り着いてみればそうでもなかったと気がついた。これは大きな一歩だ。
やっと目標の部署に配属になったのですから、前向きに考えましょう。先ずは上司や先輩達の仕事を見て新しい仕事を覚えるところからですね。あなたの仕事は誰かが褒めてくれたり評価してくれたりすることがない仕事なのかもしれません。しかし、あなたの仕事が回り回って社会を支え、社会で生きる人達の生活を支え、幸せを支えているのです。いつも仕事にまじめに取り組んでくれてありがとうございます。
自信を持ってくださいね。
ただ仕事だけでは少し寂しい時もあるので、たまには息抜きに気の合う上司や先輩、或いはスナックのママさんにでも愚痴の1つでも聞いてもらってはどうかな。もちろん飲酒運転はダメですよ。
自分と他者の悩み苦しみを減らす方向で
仏教は、自分と他者の悩み苦しみを減らすための教えだと思います。
どんな仕事であろうと、自分と他者の悩み苦しみを減らすことは、重要だと思います。
仕事での成功とかは、後からついてくるものではないでしょうか。
能力や経験に応じた仕事が周りから否応なしにに回ってくるものです。
背伸びする必要はありませんが、手抜きしすぎる必要もない。
できることをできる範囲でやれば良いのです。
自分の悩み苦しみを減らすためには、自我を客観的に見る方が良いです。
たとえば、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩が瞬間瞬間に沸いてきて、それに感情が踊らされたりする。
欲・怒り・怠け・プライドに気づく中で、自分という存在の危うさや愚かさに気づく。
煩悩のせいで必要以上に悩み苦しんだり、失敗してしまったりする。
そんな自分に気づくことは、仕事にもプライベートにも役立つと思います。
欲・怒り・怠け・プライドのために、自分と他人の苦しみを増やしたり、しなくていい失敗をしているなら、ちょっとアクセスかブレーキかハンドル操作かを調整した方が良いかも。
質問者からのお礼
私は仕事以外に居場所を見つけられるのでしょうか。本当の満足とは一体何でしょうか。
何にもわかりません。
とにかく新しい仕事が始まるだけです。いままでとは何か変わって欲しいです。