どうしたら心は救われますか
幼少期より、家庭内で起こる問題の全ては私の責任とされてきました。
父が愛人を家に連れてくることも、母の好きな野球チームが負けることも、「みんなおまえのせいだ」と殴る蹴る、髪の毛を掴んで引きずり回す、などを母、時には父にもされてきました。
成人して私が家を出てから、父が病死しました。
母は「おまえのせいでお父さんは死んだんだ。責任を取れ」と執拗に私を責めました。
もちろん、「そのようなことを言われるとつらいからやめて欲しい」と何度も伝えましたが、母を余計に興奮させて私への憎しみを増大させるだけのようで、反論することも諦めました。
うちの家族はどんな出来事も受け入れる力がなくて、私のせいにすることで精神の均衡を保っているのだろうな、と解釈し諦めて生きてきました。
昨年、認知症だった母が亡くなりました。
そして今、私は姉夫婦から「お前の介護のやり方が悪かったからお母さんが死んだんだ。責任を取れ」と責められています。
具体的には、自死するか、姉達から見えないどこか遠くへ行って暮らせと言われています。
ちなみに、介護は私一人と、介護のプロの方たちにお力を借りて努め、姉夫婦はどんなにお願しても一度も手伝ってくれませんでした。
母が亡くなった直後より、私の実印を渡すように毎日催促され、仕方なく弁護士を立てて遺産分割調停の申立てをしました。
顔を合わせると「こっち来ないで!こっち見ないで!汚いくさい気持ち悪い!あんた見るとイライラする!」などと姉に大騒ぎされます、義兄にも大声で「てめえ、この野郎!」などと怒鳴りつけられます。
姉夫婦や甥、姪たちと鉢合わせするのが怖いので、外にほとんど出られなくなりました。買い物は、食べるものがなくなったら、夜中にこそこそと隠れるようにスーパーに出向いています。
わかる人にだけわかってもらえればいい、となにも言い訳せずひたすらに我慢してきましたが、心が疲れてしまって限界のようです。
「あんたが我慢すれば済むこと」と母に言われて、すべてを飲みこんで耐えてきたことは間違いだったのでしょうか。
遺産分割調停の終わりも見えません。
明るい方向はどちらなのでしょうか。少しでも楽になりたいのです。
どうかお導きください。よろしくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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目の前の苦しみにさえ耐えればよい
1秒前もすでに過去。
まずは、過去を思い出して悲しんだり怒ったりするのはやめましょう。
人は、今の1秒間だけ生きられればそれで良いのです。
息を吐いていると、吸いたくなります。
今あるのは、息を吸いたいという苦しみ。
だったら今度は息を吸えばよい。
息を吸えばまた、息を吐きたいという苦しみがやがてやって来ます。
そのときは、吐けばよいのです。
歩くとき、右足を出せば、次は「左足を出したい」という苦しみがやってきます。
左足を出せば、次はまた右足。
ずっと歩いていれば、止まりたいという苦しみ。
ずっと止まっていれば、動きたいという苦しみ。
生きている限り、苦しみはなくなりません。
生きることは、苦しみに反応して動くことなのです。
しかし、苦しみを1秒1秒に区切って見ると、この1秒間にあるのは、目の前の苦しみだけ。
昨日の苦しみは、今は関係ないのです。
食事のときでも、お米を噛んでいるときはお米を味わえばよい、漬け物を噛んでいるときは漬け物を味わえばよい、今噛んでいるものだけが、今食べているもの。
人生、どうせできることしかできません。
今できることを、できる範囲でやればよいのです。
質問者からのお礼
ご回答をくださり、ありがとうございました。
朝も明けぬうちから、私のために大切なお時間とお気持ちを分けてくださいましたこと、
心より感謝いたします。
自己を顧みて、背筋が伸びる思いがしました。
いただいたご回答につきまして、はい、今できることならば今できます!
恐怖のあまり事実と過去と未来が私の中で同列に並び、頭が完全に覆われていました。
今の一秒を生き抜くことならばできます。
できることを、できる範囲でよければ努力できます。
「今」を生きます。試行錯誤しながら、おそらく何度も失敗しながら、
でもご住職様にいだいたお答えのように「今」を生きてみます。
身体はここにあるのに、私は完全に混乱してどこかをさまよっていたようです。
自分を「今」のここに引き戻します。
今。今。今。それだけ考えて生きてみます。
本当にありがとうございました。