いじめについて
僕は小学6年生の時に、ある女の子の机に悪口を書いた紙を置いていじめてしまった過去があります。
何年も前の事なので当時の事など詳しくは覚えていないのですが、その女の子はいじめっ子で、気にくわない子などを見つけては手当たり次第にいじめていた記憶があります。
僕はその女の子にいじめられ、仕返しのつもりでやったのだと思います。
その後、僕と女の子は先生に怒られその場では一旦落着しました。
中学に上がってからは3年間クラスも違く1回も話さなかったのですが、陰で悪口を広めていたみたいです。聞くところによると「○○君←(僕)にいじめられていた」というような内容でした。
僕はその事に対して、悪い事をしたと思って反省しているので何も説明せずに黙って噂話を聞いていました。
高校は、女の子とは別々になったのでそういった話は聞かなくなりました。ですが成人式の日に同窓会があったのですが、そこでも「○○君←(僕)にいじめられていた」と言っていたそうです。
僕は女の子に会いたくなくて同窓会に参加しなかったので、どのような感じで言っていたのかは分かりませんがとてもショックでした。
高校卒業後、上京して5年ほど仕事をして先月地元に帰って来ました。地元に居るとその事が頭から離れず苦しくなります。僕が一方的に悪者になっているような感じがして悔しい思いと悲しい思いで過呼吸になります。
仕事も上手くいかず、上京していたので地元の友達とは疎遠になっています。今が幸せではないから余計に色々と考えてしまうのだと思います。
生きていくのが辛いです。
何か少しでも前向きになれるような処方箋を頂けると幸いです。宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【以徳報怨】人間醜には人間美で
浄土宗の開祖・法然さんの父親は、かねてより恨まれていた武士の夜討ちに遭い殺されます。息を引き取る間際、父は幼い法然さんに「おまえが相手に復讐すれば殺し、殺される悪因縁が繰り返される。それよりもおまえは、その根を断ち切れ」と遺言を残したと聞きます。
かつて、あなたは当時のいじめっ子の女の子にとても深い怨みを抱いたのでしょう。自分に害を為した者を同じ目に、否、それ以上の苦しみを味わせてやりたいと思うのは、ごく自然な感情と言えます。しかし、あなたは本当に報復をしてしまった。そのせいで被害者が加害者にひっくり返ってしまった。まさに繰り返された悪因縁。これはあなたの人生における重大なミスだったと言えます。
もちろん件の女の子に謝罪して折り合いをつけるという方法もあるかもしれませんが、やってしまた事はもう消えません。これはあなたが棺桶に入るまで背負い続けなければならない、ある種の責任といえます。
【怨みには徳を以て報いる】
人間醜には人間美で対応せよということです。過呼吸を起こすほど憎いかい?悔しいかい?悲しいかい?じゃあ、その怨みのパワーを人徳に換えて、誰かの助けになるように身を粉にして、誰かの為になるように骨を砕く人生をこれからは歩んでいくべきだろう。
これが、あなたを取り巻く怨みの連鎖から開放される唯一の道なんじゃないかな。
質問者からのお礼
ありがとうございます!