お仏壇に向かっての言葉
何度かお世話になり、今は落ち着いています。
ありがとうございました。
毎朝、夫婦揃ってお仏壇に向かってお経を上げています。
お経が済んだあと、声には出さず、
「今までのあらゆる罪をお許しください。
これからは綺麗に生きていきます。
間違った道に進みそうになったときは正しい道へとお導きください。
〇〇(主人の苗字)家のご先祖様、〇〇のおとうさん、〇〇のおかあさん、安らかでいてください。
今日も二人が無事に幸せに一日を過ごせますよう見守ってください。
感謝申し上げます。
ありがとうございます。」
と唱えています。
最初の言葉はご本尊様に伝える気持ちで唱えています。
後は、〇〇家の方々に…です。
このような内容でも良いですか?
間違って唱えてはいないでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏の願いを聞く
ご相談拝読しました。
お仏壇にお参りする際の文言について悩んでおられるのですね。
私個人の考えとしては、こちらから仏様に向かって申し上げる言葉に正解も間違いもないと思います。
なぜなら仏壇は私たちが仏様にお願いする場所ではなく、私たちが仏様の願い(教え)を聞く場所だからです。
>間違った道に進みそうになったときは正しい道へとお導きください。
>今日も二人が無事に幸せに一日を過ごせますよう見守ってください。
綺麗な心で感謝を伝えているつもりでも、この言葉の裏側にはどんな思いが込められているでしょうか?
「良い事を招いて、悪い事を遠ざけたい」
そういう思いがあるのではないでしょうか?
これはけしてそれが悪いと言うのではありません。誰だって私だって正直そういう気持ちだと思います。でもそれはあくまでも「私の願い」。
「仏様の願い」はそんなことは関係ありません。私が思う私にとって悪い事があろうが、良い事があろうが、「いつでもあなたを救いますよ、真実を説き導きますよ」というのが「仏様の願い」です。
私の心が綺麗になるわけではありません。仏様の綺麗なお心に触れて、私の在り方が明らかにされるのです。
どこまでいっても私は私の思いでいっぱい。
「ああなりたい、こうしたい、ああはなりたくない、これはなくしたい」
その私が私の思いで自ら苦しみ縛られていることを気づかせてくれるのが仏様の教えです。
お仏壇に向かって何をお願いしても、何を申し上げてもかまいません。ですがそれだけで終わるのでなく、仏様の願いに耳を傾ける時間も持ちましょう。
お勤めのあとは仏教書を読んだり、お寺の行事に足を運んで学んだことを反芻したり、今あるこのいのちに目を向けたり、自分自身のありかたに注意観察したり…。仏様の願いはいつでも私たちにはたらいています。
私は私の願いでいっぱいですが、実はその奥底には本当の真実を求めてやまないということもあるのでしょう。
質問者からのお礼
吉武様
ご回答くださってありがとうございます。
お仏壇へのお祈りの言葉は正解も間違いもない、とのことなんですね。
ただ、「良い事を招いて、悪い事を遠ざけたい」という思いでは?、とのご解釈は自分の中では少し違う感じがするのですが、仏様の目で見ればそういう結論になるのでしょうか…
「仏様の願いに耳を傾ける時間も持ちましょう。」…、これがなかなか出来ません。
初心者向けの仏教書を探してみようと思います。
ありがとうございました。