ちびまる子ちゃんのような姉妹が、50代になっても続いておりました。
そのまま年を取り、旅行や山登り等したいことが沢山ありました。
その姉が突然私の目の前で、脳出血の為倒れ5日後息を引き取りました。元気そのものの姉が・・あまりにも突然過ぎて、まだ信じられません。死亡手続きやお葬式の準備等淡々としておりましたが、現実ではないという思いが強く心の整理が出来ません。
意識不明になった時、又、今姉はどう思っているのかを知りたいのです。
これから、私はどう生きていこうかと模索する日々です。
どうか、この押しつぶされそうな胸の内をお察しください。
姉をこんなにも慕っていたのだと、改めて感じております。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切な姉上があなたの目の前で倒れられ、回復なさることなくこの世の命を終えられた由、とてもお辛いことと存じます。
私も50代ですから、いつ何時、突然倒れることになるか分かりません。実際、父は60歳で、母は49歳で亡くなっていますので。だから他人ごとではないなぁ、とお尋ねの文章を拝読しつつ、心からそう思いました。
看病から、通夜葬儀の流れのなかでは、それをしなければならないのであまり悲しんでいる余裕はありません。しかし、それらが終わった後、ポッカリと心のなかに空洞ができてしまい、何故、こんなに早く亡くなったのだろうとか、あのときこうしていれば、等の思いが次々と去来しますね。
世間でしたら、会社に必要とされる人は定年を過ぎてもずっといてほしいと言われますが、人生はそんなことはなく、どれほど愛されている人でも不条理としかいいようのないようにあっけなく亡くなります。不平等だなぁ、と思います。
さて、表題の「死者とともに生きること」は宗教と政治の関係を研究なさっている中島岳志先生(東工大)が真宗大谷派(東本願寺)で講演された時の演題です。これは中島先生独自のお言葉ではなく、インドのヒンドゥー教の言葉です。若い頃、ヒンドゥー語専攻だった先生らしい演題です。講演は死者とともに生きていこう、という内容でした。東北の震災被災者たちにどんな言葉をかけたらよいのか新聞に書くことになった時、死者とともに生きていきましょうという言葉を贈ることになさったそうです。あなたの場合でしたら、亡くなった姉上とともに生きてください、ということになるかと思います。
真宗大谷派や私ども浄土真宗本願寺派(西本願寺)など浄土真宗では、先にこの世の命を終えた方は仏さまにお浄土に迎えられて同じ仏さまになり、迷いの私たちを迷いから覚りに導くためにこの迷いの世界にかえってきて私たちと一緒にいてくださると説きます。姉上は苦しんでおいでになりません。覚りの仏さまとなってあなたのそばから片時も離れずいてくださいます。だから私たちの教えからいいますと、「死者とともに生きる」というより、「仏さまとともに与えられたこの命を生かしていただいている」ということになります。姉上の死後の世界を心配なさるというより、姉上に包まれ気遣っていただいておいでになられるということです。何も御心配には及びません。
今・・拝読させて頂きました。
こんなにも早くご回答頂けたこと感謝致します。
心のこもった文面に涙が止まりません。
これからの人生姉と共に生きる。このお言葉が、今の私にはとても
心にすっと水が浸み込むように、おさまりました。
私だけ今から楽しんでいいのか。
私だけ笑っていいのか。
私だけ…と思い続けておりました。
姉の大事に乗っていた車を譲り受け、運転しております。
あまりに突然の死だったので、姉の部屋は姉の香りが漂っております。
沢山の姉の大事な物を、愛おしく大事に使っていきたいと思います。
姉に包まれて・・
本当にそう思います。
姉は、苦しんでないのですね・・
意識不明になり、人口呼吸器をつけて下さいとお医者様にお願いした時、姉はそれを
望むのか、苦しくないのかと自分を責め続けました。
そのお言葉救われました。
泣くのを我慢しておりましたが、心からのお言葉に只今号泣しながら、
お礼のコメント書かせてもらってます。
倒れる前の最後の言葉が、私が淹れたお茶にこのお茶美味しいねでした。
お茶を飲む度、姉を偲びます。
今週日曜日に、四十九日の法要です。
又遠くにいってしまうと思っておりましたが、近くにいてくれてると思えて
安心しました。
悲しみはなかなか癒えません。深まるでしょう。
でも、お返事いただいた事で、顔を上げて生きていきたいと思います。
泣いていいと思えてきました。
笑っていいと思えてきました。
本当に、有難うございました。
姉と共に生きていきます。これから・・