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桜への想い

回答数回答 1
有り難し有り難し 9

桜を見て、泣いてしまいます。
散ることはわかっているのに、なぜあんなに綺麗に咲いているのか。
人はどうして笑って桜を見ていられるのか。
散ってしまうのなら、いっそ咲かない方がいいのでは?と思ったりしてしまいます。

自分の恋愛を重ねているんです。
終りがくるのがわかっている相手との関係に、疲れてしまいました。
桜が散るのと同時に、その人の前から消えようかと思っています。
ここに書いて、どうなるわけでもないのですが…。

桜が、私の気持ちをどこかに運んでくれますか。
たとえばせつない気持ちは、どこに行ってしまうのですか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

拠り所

ご相談拝読しました。

お話しをお聞かせいただいて吉井和哉さんの曲「恋の花」が頭に浮かびました。よかったら聴いてみてください。

https://hasunoha.jp/questions/33533

さて、

>散ってしまうのなら、いっそ咲かない方がいいのでは?

というのは究極的には「どうせ死ぬなら生まれなかった方がよかった」という自己否定につながります。

私たちの歩みは「死」や「何かの終わり」によってそれまでの意味がすべて失われてしまうような歩みなのでしょうか。

そうではなかったと目が覚めるのは自分が先人やこれまでのご縁から様々なタネを受け取っていた事に気づいた時です。タネはやがて芽を出し花開きます。散ってしまった花も、その足元には次のタネが蒔かれているのではないでしょうか。

そのタネが自分の思い通りのものかそうでないかの判断で「意味なし」としてしまうならば、今の自分そのものが虚しいだけのものになってしまうでしょう。

自分の気持ちは自分で起こすものではありません。縁によって起こされるものです。でも気持ちの中で示していく態度で、また次に起こってくる気持ちも変わってくるでしょう。

「気持ち」を拠り所にする歩みは余りにも不安だと思います。不安定な気持ちに振り回されないためにも私たち仏教徒は「教え」に我が身を問うていくのです。

「教え」が拠り所です。あなたも真に頼れる「拠り所」を求めてみませんか?

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ