母への後悔
先月母が亡くなりました。
母は私の自慢でした。
いつも明るく少し派手で自由で…。
でも子供をいつも優先。
母と会話するのがとても大好きで…。
でもいつの頃からか…
母が病を患い、年老いていく姿に私の心はついていけなくなってしまいました。
ずっとそばにいて支えてくれた母を疎ましく思い、一緒に居て欲しかったであろう時ですら分かっていながら一緒にいてあげられませんでした。
入院した母が我儘を言う姿に苛つき、どれだけお金をかけているんだと罵り、母にあたる事で、私は精一杯しているんだと納得させていました。
優しさなんて1つもない、毎日嫌味しか言わない。それでも見舞いに行くといつも喜んでくれている母に苛つき、後悔しながらもその繰り返し。
亡くなるなんて思ってもいなかった。
急変し、最期ですら間に合わず。
後悔でいっぱいで苦しいです。
何故いつも見ていた母の様子が分からなかったのか、何故老いていく母を受け入れられなかったのか。
母の笑顔を奪ってしまった。
1人で寂しく逝かせてしまった。
私のために体を張ってくれる母だったのに
何故私は突き放してしまったのか
とても苦しいです。
本当は変わらず大好きな母だったのに。
母に私の声が届いて欲しいと願い、母への懺悔ばかりを書き続けてしまうのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今からでも出来る感謝。母から繋いだ命を大事に生きること。
そうですか。。。 お母さまも、また 寂しかったのかもしれませんね。老い、病み、自由が効かなくなる身体。その空しさを、あなたにぶつけていらっしゃったのかもしれませんね、娘の あなただから言えたワガママだったのかもしれませんね。お母さまにとって、最期まで親子だったのですよ◎
あなたがいなかったら、誰にその気持ちをぶつけたらいいのか。あなたがいてくださって、よかったわ。
お母さまは、最期まで 一人じゃなかったのですよ。心の中に、愛する娘がいたはずです。
別れると、あのとき、あ〜していたら、、、
後悔が生まれます。
ワガママになるお母さんを、あなたも見ているのが辛かったでしょうね。あなたにだって、取り巻く環境があったのに。そんな中、お母さんに向き合うことは、ご苦労もあったでしょう。あなたも、いっぱい いっぱいだったのよね。
それもまた、あなたにとって お母さまが特別な存在だったから。だから、感情が溢れたのでしょう。
今からでも出来る感謝がありますよ。
あなたが、お母さんから繋いだ命を大事に生きること。そして、お母さんを偲び 手を合わせていくこと。
仏様は、そんな あなたの気持ちに寄り添ってくださいます。私も、あなたの想いを聞いていきますよ。
あなたが、苦しみから解放されるまで。
一緒に、手を合わせていきましょう。
母の遺徳を偲ぶ
お母様の逝去、心よりお悔やみ申し上げます。
恐らく、お母様は慈愛を持って貴女を育て上げてくれたのだと拝察します。さて、仏陀釈尊は「一切は苦である」と、説かれました。すなわち生、老、病、死の四苦に纏われているものであり、それは定められた絶対の真理であるのです。貴女が幼い頃、頼もしかったお母様が、年老いて病に臥せる姿に貴女は思いもよらなかった事だったでしょうし、見たくなかった姿だったのでしょう。しかしお母様が貴女に見せたありのままの姿は、いずれは貴女の姿なのです。人は漠然と感受し、その現実から目を背け、遠ざけようとしてしまうものです。入院していたお母様に辛く当たってしまったことは、「お母さん、どうしてこうなってしまったの」という気持ちが感情的に表れてしまったのかもしれません。逆説的に言えば、お母様こそ、貴女のよき理解者であり、心の支えであった存在のでしょう。今やお母様はこの世を去られ、後悔の念に苛まれていることはよく解ります。しかし覆水盆に返らずの如く、過去に遡ることは出来ません。今後は貴女がお母様より受けたことを、自分のよりどころとし、あらゆる場面において、「お母さんだったらどうするであろうか?」という気持ちで、嘘偽りなく生きて行くことが亡くなったお母様への思し召しに叶うことだと思います。
質問者からのお礼
中田三恵様
ありがとうございます。
中田様のお言葉が母の言葉だと受け止め、残された人生、残された家族と共に母が生きたかったであろう日々を一生懸命生きようと思います。1番の親孝行だと信じます。
本当にありがとうございました。
寶川良隆様
ありがとうございます。
寶川様がおっしゃる通り、どうしてこうなってしまったの…という思いや、今の姿は本来の母ではないと現実から目をそらす形となってしまいました。
辛かった肉体から離れ、今は幸せであると信じ祈っていこうと思います。
本当にありがとうございました。