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阿弥陀さまの願いとは

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有り難し有り難し 23

いつもお世話になり、誠にありがとうございます。またひとつ質問させて下さい。よろしくお願いいたします。

先日浄土真宗の勉強会に参加させていただいたのですが講師の先生が、 仏壇を拝むということは、自分の願いを阿弥陀さまに聞いてもらうことではなく、阿弥陀さまの願いを聞かせてもらうことである、 阿弥陀さまの光に照らされて自分の姿を知らされることである、というようなことをおっしゃったのですが、、、。

私自身いつも仏壇の前では、 仏様今日も一日よろしくお願いいたしますとか、仏様いつもありがとうございますなどとお唱えしているのですが、これではやはり駄目なのでしょうか?

また、お仏壇の前に座って阿弥陀さまの願いを聞くことが出来るには、一体どうしたら良いのでしょうか?

私自身実際、阿弥陀さまのお慈悲の心とか働きと言われても、なかなか実感できないところがあります。

どうかご指導の程よろしくお願いいたします。

2019年4月5日 20:24

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【弥陀の誓願】

"お仏壇の前に座って阿弥陀さまの願いを聞くことが出来るには"
阿弥陀さんは、あなたに「なむあみだぶつ」と唱えてほしいんだって。

”阿弥陀さまのお慈悲の心とか働きと言われても、なかなか実感できない”
とりあえずは、べつにそれでもいいんだよ。
「なむあみだぶつ」と唱えていてよかったなぁと思える日がきっとやってくる。でも、もし死ぬが死ぬまでよくわからなかったとしても、それはそれで構わない。

とにかく阿弥陀さんの「願い」は、あなたにもお念仏を唱えてほしいという事だけなんだ。その意味や意義があなたに理解できてもできなくても、とにかくお念仏を唱えてほしいんだ。

たとえ、あなたにその意味がわからなかったとしても、「南無阿弥陀仏」ととなえる者を必ず西方極楽浄土に生まれさせる、それができないようなら自分は仏の位を返上する、これが阿弥陀さんの「誓い」なんだ。

阿弥陀さんのお慈悲や心を実感するには、まずは他ならぬあなた自身がお念仏を唱えなければ話にならない。そして、あなたがもし最期まで理解できなかったとしても、念仏するあなたをそのまんま根こそぎ救ってくれるっていうんだから、こんなに有り難い話はないよね。

だから、お念仏をする日々を送り続けましょう。
南無阿弥陀仏 合掌

<追記>
”阿弥陀さまのことが解らないままにでも、毎日お念仏を唱えていけばよい”
うん。つまり、そういうことです。でも、ひとつだけ覚えておいて。
念仏を唱える人は、みんな仏の弟子なんだ。頭を剃って坊さんにならなくても、どこかの宗派に所属しなくても、みんながみんな【仏弟子】なんだ。
どう?お念仏を唱えてみた? じゃあ、あなたは我々の立派な仲間だ!!
これからは、坊さんのマネごとでいいから、仏弟子の自覚を持って、あなたの善意と良心に基づいた生活を送ろうね。もちろんお念仏も忘れずに。

2019年4月5日 21:16
{{count}}
有り難し
おきもち

となりのトトロの世界のような山奥の田舎の小さな小さなお寺の住職をしています...

質問者からのお礼

拝啓転落院さま。

この度は有り難いアドバイス、ありがとうございました。

仏様、阿弥陀さまのことが解らないままにでも、毎日お念仏を唱えていけばよいのですね。そうしたらいつか実感出来るときが来る。

もし仮に実感することができなくとも、お念仏を唱えていれば、阿弥陀さまは私をお浄土に生まれさせて下さるということですね。

信心を頂くのも他力のご縁ですね。
焦らず、わからないままにお念仏を唱えて日暮らしをしていきます。

この度は誠にありがとうございました。合掌

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

小屋から出てきた仏像について

先日、祖父の家の物置小屋を探検していました。私が知っているのは、祖父の家は江戸時代から13代続く家です。 そのため、小屋にはなんか凄いの入ってそうだな、という木箱や竹籠が沢山あります。 色々見ていたところ、主に朱塗りのお膳セットや陶器でした。 しかし、父がふと この木の棒なんだ? と、足元の樽の上にあったものを手に取ると。 仏像でした。私は仏教は好きでお釈迦様の教えなどは好んで知ろうとするのですが、仏像に関しては分かりません。 その仏像は30センチくらいの立像で観音様でしょうか。 スラッとしていて右手は人差し指と親指をくっつけて上を向き、左手は下を向いている美しい仏像でした。 仏像の乗っている台の下には 先祖代々永享元年 と書かれており、調べてみると室町時代だとか。 もうひとつも立像で、胸の下あたりに法界定印(調べました)を組んだ お地蔵さま?お釈迦様?です。 これは、年代は不明です。10センチから15センチくらいです もうひとつは、20センチくらいの扉のついた彫り物です。3センチ程の人物が3人いて、御一方は不動明王様でした。 長くなりましたが、無造作に埃まみれの小屋において置くのも嫌だなと、見つけたのも何かのご縁かと思い、汚れを拭き取り綺麗にしました。 これらは、仏壇で一緒に手を合わせていいものでしょうか。 良ければ教えてください。曹洞宗です。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

本尊とお唱えの対応関係

 こんにちは。当家の菩提寺は曹洞宗なのですが、「うちのお寺のご本尊は歴史的な経緯から阿弥陀如来なんですよ」と住職に聞きました(あまり大きくもないこともあり、それまで遠目にはわからなかったんです)。宗派の本尊と各寺院の本尊が一致してないことはよくあることですので、それ自体はへえそうなんだ。ぐらいの感想でしたが、ちょっと後で考えてしまいまして。というのも、その阿弥陀如来様の前に「南無釈迦牟尼仏とお唱えしましょう」という掲示があり、ずっとそうしてたんですけど、目の前におられるのは釈迦如来じゃありませんよね・・・?「南無阿弥陀仏」じゃないんでしょうか??みんなに目の前で「南無釈迦牟尼仏」と言われて阿弥陀如来様はどう思われることなんでしょう?両方唱えてみるべき?  実は、法要の際に住職が「南無釈迦牟尼佛・南無高祖承陽大師・南無太祖常済大師」と列挙している部分に一言「南無阿弥陀仏」と挿入していたことがあり、おお!ここで配慮してたのかと得心したんですが、逆に言えば阿弥陀如来関係はここだけです。そもそも、曹洞宗のお経は釈迦如来や観世音菩薩関係のものばかりですよね。  寺の本尊もしくは各家庭の仏壇の本尊と、お唱えやお経って、必ずしも対応してなくてもいいものなんでしょうか?多分いいんだろうけど、なんでなんでしょう?(だって、そうじゃないと薬師如来や地蔵菩薩や不動明王のお経なんか唱えたくてもまず唱えられませんよね。)如来や菩薩は相互に「私の前で誰それからこんな読経があったよ」と報告してくださってるのか、それとも上司不在時の代理決裁のように宛先が別の如来でも処理してくださるのでしょうか?このあたり、どう理解したらいいものなんでしょうか、よろしければ回答お待ちしております。

有り難し有り難し 11
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