こんな事を考えてしまいます。
お世話になります。息子が亡くなって、涙を流さない日は、1日もなく片時も忘れた事は、ありません。
息子は、言葉が遅く、自閉症でした、始めての子育てで、悩みが尽きることは、ありませんでした。言葉が遅かったので、周りから理解されず、学校に入ればいじめられ、親にはほとんど相談せず、自分ひとりで悩んでいた事でしょう。私は、ずっと息子の事が心配で、いつもいつも不安でした。亡くなった現在、哀しい毎日を送っていますが、ふとした時、「あっもう、息子の事で気を揉まなくてもいいんだ」なんて考えしまい、不謹慎な親でしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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不謹慎ではありません。
ピングーさん、ご質問ありがとうございます。
息子さんに先立たれ、おつらいことと思います。
私の知り合いにも自閉症の子を持つ人が何人かいます。
お子さんを心配する気持ちは、普通の方以上で、大変なことと
感じております。
しかし、心配や悩みが深い分、深いところで考え、お子さんを
大事にしておられ、学びが深いことに感心させられます。
こういう言い方は、あるいは失礼かもしれませんが、
そういうお子さんと過ごしたからこそ、深みのある人間として
あなたは存在しているのではないかと想像します。
私は浄土真宗僧侶なので、阿弥陀如来のことを考えます。
阿弥陀様は、慈悲の仏様。
慈悲を言い換えると、大悲とか同悲となります。
悲しみや苦しみが多いほど、阿弥陀様は寄り添ってくださり、
ともに悲しんでくださる。
どういう御宗旨を信仰なさっているか、どういう思想をお持ちか
そういうことで、かならすしも阿弥陀様ではないのかもしれません。
しかし、どこかで目に見えない、人を包み込むような大きな存在が
自分と同じ思いを持ち、自分に働きかけている。
そういうイメージを持っていることは、大切なのではないかと
思います。
「もう息子のことで気を揉まなくてもいい」
正直なお気持ちなのだと思います。
悲しくつらいことのあとには、安堵を感じることもあった方がいい。
不謹慎と自分を責めるよりも、そんな風に感じるこの瞬間を
喜んでいく方がいいのではないでしょうか?
質問者からのお礼
藤堂尚夫様
暖かいお言葉をありがとうございました。
息子が居てくれたからこそ、言葉教室の先生や親身にみてくれた保育士の方の出会いは、かけがえの無いものとなっています。
また、こうして、私の為に導いて下さる事に
感謝し、前向きに生きていきます