何度も犯罪を犯してしまう人
いつもありがとうございます。
抽象的な質問で申し訳ありませんが、何度も犯罪を犯してしまう人(窃盗、恐喝、強盗、殺人など)を仏教的にはどう説いてあげるのでしょうか。
今の時代、SNSなどでは極端な話、犯罪を犯す人間は何でも◯刑というような風潮があるとかんじるのですがどうでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
対機説法
ご相談拝読しました。
いただいたご質問に仏教的にどうかという答えは今の私にはパッと思い浮かばなかったのですが、少なくとも仏陀釈尊におかれましては「何度も犯罪を犯してしまう人」と一括りにすることはないのでしょう。
その人にはその人固有の苦があり、苦しみの原因がある。窃盗症の人もいるかもしれないし、幼少期の生育環境に原因がある人もいるかもしれないし、今置かれた悲惨な境遇による人もいるかもしれない。
そうした機に応じて法を説かれたのが対機説法です。応病与薬とも言います。
機とは仏が人間を見つめる眼差しであり、能力や状況や性質などの意です。とにかくその人自身を深く見つめるということですね。
昨今、確かに厳罰化の流れや、SNSなどでも総叩きにするような流れがあるようにも感じます。
それは人々の「感情の満足」が優先され、その場その場で何となく気持ちをスッキリさせることが求められてしまっているように思えてきます。
しかしその場で多くの人が気持ち的に納得する形であっても、結局本質的に解決していないからまた繰り返す…そんなこともあるかもしれません。
そこでいよいよ仏教をはじめ宗教の時代ではないかとも思うのです。「感情の満足」ではなく、真理・法則にのっとった根本的解決を目指す道です。
真理・法則に我が身の姿を照らし出され、一人一人が他者の姿を「たまたま私がその身でなかっただけかも…」と見出していけるようになると少し変わってくるかもしれませんね。
質問者からのお礼
お礼が遅くなってすみません。ただ厳罰化するのではその人自身が本当に救われたことにはならないですものね。私も同じように考えていてうまく言葉にすることができませんでしたが、回答をいただけて落ち着きました。納得できるお言葉をいただけてよかったです。本当にありがとうございました。