負の感情は我慢するべきか教えてください。
以前、不妊治療に関する相談にお答えいただきありがとうございました。
あれから毎日ここを覗いて、他の方のお悩みや皆様のお言葉に胸を打たれています。
世にはいろんな苦労、辛さ、または喜びがあるのだと、改めて感じています。
不妊治療のために心が不安定になることが多いです。なんとか元気に振る舞おうと思っても苦しくなる時があります。
旦那の前では悲しい顔を見せず明るく振る舞おうと思っても、我慢が続くと、家の外なのに涙が溢れてしまったりもします。そして感情的になってしまいます。
私はどこの誰に、自分の悲しみや苦しみをぶつけるべきですか?
はたまた誰にもぶつけず、自分の心の中で消化するべきことでしょうか?自分の心の中で消化するべきであれば、その方法も教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
幸せの価値観は、どこまでいっても人それぞれ。夫婦の幸せを。
前回の質問も読ませていただきました。
不妊治療は、精神的にも肉体的にも、大変辛いですよね。頑張っているのに、こんなに願っているのに、なぜなのと 悲しくて悔しくて、涙が溢れる。周りにはわかりませんが、孤独の闘いでもあるわね。この気持ちを、誰に、どこに、ぶつければ。。。
無ければ無いで、あればあったで、それぞれに苦悩がありましょう。
幸せの価値観は、どこまでいっても、人により違います。
私も、不妊治療の相談に多く耳を傾けてきましたが、一番悲しいのは、夫婦の気持ちが離れてしまうこと。
一番側にいる人に、分かってもらえないことほど、辛いことはありません。
あなたには、人生を一緒に歩く人がいる。
一番そばにいる人が、ちゃんとわかってくれている。
こんな安心が、幸せなんだと。
マイナスな気持ちに、塞ぎ込んでしまうときは、今ある幸せに目を向けてみて。
それは、あなただから得られたもの。
夫婦で、幸せの価値観を描いていきましょう。
仏教とは
もも様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
悲しみや苦しみは、実体としてあるものではないのですが、まるであたかも、それが実体としてあるかの如くに囚われを起こしてしまうところがございます。
もちろん、実体としてあるわけではないのですが、「無い」わけではなく、現に、悲しみ、苦しまれておられるのは、まぎれもない事実でもあります。
では、その悲しみ、苦しみは、どこからやってくるのか、突然に何もないところからポッと出てくるのか、そうではなく、因縁(原因と条件)により現れている事象であるのであります。
つまり、因縁次第で変わりゆくものであるのであります。
もちろん、外部の因縁、内部の因縁、あるいは、モノゴトを捉える心の因縁など、複雑な因縁次第となるのですが、その因縁の流れを見極められて、悲しみや苦しみが生じてしまう因縁から離れて、大安心となる悟りへと向かうための因縁を説き示されましたのがお釈迦様であります。
ですから、この機会より仏教について学び修していって頂くことで、どう対応していくことが良いのかも分かり得るところとなってくるのではないだろうかと存じます。
是非、仏教へとお入り下さいませ。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
中田様、川口様
温かいメッセージ頂きありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ありません。
今回相談させていただいたことのように、〇〇な時はどうしたら?〇〇だったら?と常に自問自答しながら、何か正解かと迷いながら生きる人生でした。
しかし、お二方からいただいた、そうではなく何が大切なのか、なぜそう思うのか、考え方を変えていけば前向きに過ごしていけるのではないかと、少しずつですが気づくことができました。
日々の生活では、悲観的になる前に目の前にある大切なものを大切にしよう、すべてご縁、と。まずはここから始めています。
この場所がある今の私にとって一番の心の拠り所です。支えていただき感謝しています。