嫌いな友人との関係
友人との関係について相談があります。
大学の1番最初に出会った女友達についてです。
1人、地方から出てきて不安だった最初の頃はとても心強い友人だと思ってました。ですが、1年ほど経つとあれ?と思うことが何度かありました。
例えば、
○人の話を聞いていない、聞いてても覚えていない。
○彼女自身人の目を気にする性格なのに私がそういう類の相談をすると共感すらしてくれず流されて悲しいを通り越して腹が立ちました。他には、
○自分の都合の良いときだけすり寄ってくるなどです。
例を書き込んでいるとき再認識しましたが些細なことで私は彼女に対して腹が立ちがちです。腹が立つたびに自分の性格の悪さ、心の狭さに腹が立ち悲しくなります。しかし、例にあげた事を誰に対してもやるわけではなく私とか下に見てる?人だけにやるんです。自分に有益になったり上だと思ってる人には媚びて見えます。だからこそ余計腹がたつんじゃないかと思っています。
最近嫌いなことを自覚したのもあって会ったり、見かけたりすると彼女を避けています。
あまり関わらず生活出来たらいいんですが、今年から研究室配属があり、あと3年は同じ研究室で過ごします。(もちろん、一緒にいこうなど約束はしていません)
彼女との関係をよくしたいとは思ってません。
どう考えれば自己嫌悪せずに過ごせるのでしょうか?彼女と接する時の態度はどうすればいいのでしょうか?また、違う視点からみて私の性格は悪いのでしょうか。質問が多くなりましたが、教えていただけると幸いです。
ちなみにいつも行動している友人(6人)の中の1人なのでずっと2人な訳じゃないです。でも研究室が同じになったため2人になる機会が増えるんじゃないかと恐れています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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忍辱波羅蜜
きみちゃん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
嫌悪するバイアスが掛かり過ぎているため、些細なことでも許せなくなってしまっていることもあり得ますが、性格というものは、そう簡単には治せないものであるため、そういう性格であるとして、その性格を、仕方がないと諦めて認めてあげて、あとは、今までどおりに避けれるならば避けるなどして、対処できることは対処するようにしていくしかないかとは存じます。
もちろん、自分の性格もそう簡単には治せないものであるため、それはお互い様であると思って接していくのも。
しかし、明らかに相手方に問題があると思われるのに、自分が悪いとして自己嫌悪に陥るのはあまりよくありません。
しゃーないなーとして、一つ割り切って、相手への奉仕と思って忍耐なされて頂くのも。仏教的には、嫌悪する相手に慈悲をかけて、忍耐されるのも立派な忍辱波羅蜜として菩薩の行いの一つであり、功徳となります。
川口英俊 合掌