悔しい。
いつもありがとうございます。
最近は私もいろんな方に支えられてだいぶ考え方が変わってきたように思えます。
特に子供が産まれてからは(理不尽な思いをした時はその理不尽な思いをさせてきた相手にちゃんと返さないと子育てに支障が出る。)との考えがあり、お陰で子供が産まれた後の尾を引くモヤモヤはほとんどありません。
ただ、未だに何年も前の事にモヤモヤしてしまいます。
なんでちゃんと自分の意見を言わなかったのだろう?という悔しさが出てしまいます。
子供と遊んでてもふとした時に思い出して扉などを締める際に無意識に強く締めてしまってその音で子供を驚かしてしまって後悔をしたりしています。
後からでもメールで気になることは聞けばよかった、「あの時なんであんなこと言ったの?」とか「私は今こういう状態だけど、なんか勘違いしていない?」とか、そういうやり取りをする前に連絡を出来ない状況にしてしまった。
しつこい、鬱陶しいって言われるのも怖くて言えなかったけど、こんなに尾を引くなら言うべきだった…悔しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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なるほど。悔しいですね。でも仏教ではその逆を説きます。
お釈迦さまの言葉に
「この世においては怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息(や)む。これは永遠の真理である」(ダンマパダ5)
とあります。
やられたからといって「仕返し」をすると、ずっと「仕返し」の繰り返しだ。恨むことをやめて「仕返し」をしないことが、唯一の恨みの解除法だ。という事です。
理不尽をされて仕返しをしても、スッキリするのは一瞬です。またその仕返しが来ます。怨みをやめることが最善の方法であり、お子様にもそれを教えることが大切だと思います。
もうひとつお釈迦さまの言葉から。
「怒らないことによって怒りに打ち勝て、善の行いによって悪に打ち勝て。分かち合う事によって物惜しみに打ち勝て。真実によって虚言の人に打ち勝て」(ダンマパダ223)
質問者からのお礼
光禪 様
ありがとうございます。
仕返しというより我慢して相手に合わさずに自分の考えや主張をしっかり伝えるという意味で、決して相手に理不尽をやり返すという意味ではなかったのですが私の文が分かりづらかったと思います。すいません。
理不尽な事を返すというより、嫌なことは嫌と伝えることや誤解を解くという意味です。
怒らないこと、怒りに打ち勝てと言われているのですね。