何度も何度も罪の意識が消えません
私は悪い人間です。
小学生のころ見た目に特徴のある女子の名前をあげて○○がいなくなってほしい人~と言いました。
それを聞いた女子が泣いてしまいトイレに篭ってしまいました。
そのあと先生に怒られて私も泣きました。あの時怒られてよかったと思いますが。
よく喧嘩してた友達のカードをただ力を誇示するために握り潰した事も悪人そのものです。
人生の汚点でしかありません、自分は加害者なのだと言う意識で気を病んでしまいました
ひどい人間は罰をつけなければいけない、罪と罰の帳尻を合わせなければならない
まともな人生を歩んじゃいけないのでは。
自分は人から褒められると 私はそんな人間じゃないのにと言う気持ちが出てきます。
イジメの加害者はろくな人生を歩まないそうです、今の私の生活を見ると正しいと思います
私は罰だと思ってるところがあります、いつまで続くのでしょうか。
自己嫌悪には相手の気持ちで嫌悪してる部分と自分の汚点を許せないと言う部分があり
自分のための自己嫌悪をしていることに嫌気がさします。
自分を許せないので、俺をイジメた奴らも許しません、許したら自分の行いも許してしまう事だと思うからです。
でもそんなことしなきゃこんなことで悩まないのにとまた自分のための自己嫌悪をしてしまいます
中学高校という人生の一番楽しいところ、輝ける時期にろくな青春を送っていないので 青春コンプレックスを抱えている。上手く生きることが出来ません受け身です
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その自己嫌悪の正体は?
『聲の形』(こえのかたち)という映画は知っていますか?
http://koenokatachi-movie.com/introduction/
一人の少年が一人の少女をイジメる。そして成長して再び出会う。そんな少年と少女の物語です。観てみてください。
さて、自己嫌悪と言いますが、それは自分が好きで好きでたまらないことの裏返しではないですか?あるいは自分を責めておけばとりあえず何とかなる気がして楽なのではないですか?これは大分前のご質問でも同じことを申し上げました。質問数も重なってきましたのでここらで復習がてら過去の問答をまた読み直してみてください。
自分が好きだから自分が傷つくことが許せないのでしょう。
>自分は人から褒められると 私はそんな人間じゃないのにと言う気持ちが出てきます。
というのは他人に自分のことがわかってたまるかというぐらい自分で自分のことを掴んで離さないのでしょう。自分の思いの中を一歩も出ないところに留まっているのでしょう。
>そのあと先生に怒られて私も泣きました。あの時怒られてよかったと思いますが。
この時、その先生はあなたの殻を破ってくれたのではないですか?
今、あなたの殻を破ろうとしてくれるものはあなたの周りに溢れています。あなたにとって不都合なものという形で。
あなたの嫌いな根性論で頑張れと言うのではありません。自分の根性のままでいくら自分を振り回してもループを抜けないでしょう。
きっとあなたにもタイミングがくるはずです。
「このままじゃアカンな。何やってんだろオレ?」
と、いよいよ本当に立ち上がっていけるタイミングが。
「自分は悪人」と口では言いながらも、「それでもまだ捨てたものじゃない」と、その自分への執著を離れられない私たちの在り方を破ってくれる具体的なはたらきは他者でしかないでしょう。
ウザい・ダルい・めんどくさい
と、聞いていけない内は自分の殻は破れません。そういう意味でも是非『聲の形』を観て、他者の「こえ」を聞く眼差しのヒントを探ってみましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
悪人であることで悩むのをやめろ、それは自分が好きな事の裏返しだから と言う事ですね?
やめたら自分が嫌いになれますか
本当に悩んでたら悪人である事を否定してほしくて相談なんてしないと言うことですね
確かに中途半端かも知れません
他人を傷つけた分自分も傷つかなきゃ気が済まないのはおかしいですか
ちなみにこえの形は漫画なら読みました。