理想的な自分しか受け入れられない。
こんにちは。
私は20代になったばかりの女子です。
普段は大学生で、基本的には明るく人のどんな面も受け入れ、前向きに考えているつもりです。
周囲の人の様々な考え方や価値観は、「人間だからこんな人もいるよな、、、」と感情的にならず飲み込もうとするようにしています。
しかし、自分のことになると完璧な、理想としている自分しか受け入れられないのです。
自分に自信がないから完璧を演じているのかもしれません。でも、周りには自信があるのが私!と言ってるような明るくポジティブなイメージをもたれているからか、今更心配性になったり、ネガティブな面を見せたりすることは難しいと考え込んでしまいます。
失敗する自分を受け入れ、素直な自分になるにはどのような心持ちでおるべきでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ひた向きに生きる人にこそ、人は感動する
はじめまして。亀山純史と申します。
完璧な人間を目指すことは悪いことではありませんが、完璧な人はつまらないし、人を感動させることもできないとは思いませんか。波乱万丈の人生を送った人がテレビの番組等で取り上げられるのは、その人が完璧な、そして誰しも羨むような人生を歩んだからではありません。失敗の連続であっても、そこから這い上がり、最後は納得のいく人生を送ったからこそ、人々の関心を引き、そして人々の心に感動を呼び起こすのです。
ではなぜ、完璧な人生は人々を感動させないのでしょうか。仏教的に考察するならば、完璧な人生(人間)は縁起のあり方に反しているからです。因縁によって様々な出来事を経験する中を、どうやって生き抜いてきたか、そこに人々は心ひかれ、感動するのです。
もちろん、完璧さを求めることは素晴らしいことです。でも、それは求めても永遠に得られないものであり、私たちはそのことを無意識のうちに知っていると思います。つまり、私たちは、求めても永遠に得られないものであることを知りつつ求めているのです。この矛盾するあり方に立ちながら歩む人生において、(それは完璧とは程遠いものであっても、)そこにひた向きに生きた人は、人々の心に感動を与えることになると思います。
今まで明るくポジティブなイメージだけの人に、実は心配性な面やネガティブな面もあったと知れば、決してそれらはその人のマイナス評価になるのではなく、むしろ、その人の人間味を増す材料になるのではないかと思っています。
以上が私からの回答です。是非、充実した人生を歩んでください。