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お坊さんを蛸と掛け合わせて、笑いを取るような掛け軸について

回答数回答 3
有り難し有り難し 38

どうしても意味・ユーモア感覚が分からないので、ここでお坊さんに直接質問をさせて頂きます。

いま私は、とある掛け軸について研究をしています。ですが、私は仏教の世界を深く知るようになったのは、つい最近になってからであり、そのせいで仏教世界のユーモアが分かりません。

研究している掛け軸には、掛け軸の下の方に、『十六羅漢のうち十人が水が足首らへんまでしか来ていない海(若しくは川)の浅瀬を渡って、上の方を見上げている』描写があり、左上の方に、『龍頭観音と思われる龍が一匹と、龍の口らへんに、モワモワした煙と共に、お花のような(?)ものを手に持っている着物を着た女性が一人立っている』描写があります。更に、この空の方へ登っている龍には、十六羅漢のうち六人が乗っており、そのうちの一人が釣り糸みたいなもので蛸を海から釣っています。

十六羅漢が川ではなく、海を渡っているのは、蛸が海にしか生息していないからという理由で、海だと推測しました。

この絵には漢詩が付いているのですが、以下のようなものです:

是秋釈子袿第響
無転十六蛸入道
為老先生博祭無事居楽

遊印には→星洲晩漁

と書いてあるはずなのですが(あまりきちんと読めませんでした)、漢詩の意味は全て分かりませんが、ここには蛸入道としっかり書いてあります。

以上のことから、私は、蛸とお坊さんの頭を掛け合わせて、笑いを取るような絵だと見受けました。

が、私の感性では、釈迦の弟子たちで笑いを取るという感覚が全く分からないのですが、ひと昔の日本では(明治・大正あたり)、このようなことはよく起こり得たのでしょうか?またこのような、ブラックユーモア的な掛け軸は、よくあったのですか?
ちなみに、私の推測はあっていますでしょうか?(蛸とお坊さんの頭を掛け合わせることで、笑いをとるという感覚)

若しくは、他に何か意味があるのでしょうか?

漢詩の意味も分かりませんが、このセンスが本当に意味が分からなくて、大変困っております。どなたか詳しく説明して頂けますと幸いです。

掛け軸の絵を写真で添付できないので、絵そのもののイメージがし辛いと思いますが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

ちなみに、この掛け軸は、近代に描かれました。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご質問のような意図で書かれた書画ではないと思います

こんにちは。
この回答をするに当たり、解読に協力してしてくださった方々に、この場を借りてお礼申し上げます。

http://www2.plala.or.jp/horin/a.png

自信がない字は字の後ろに(?)をつけました。
加工により見られない部分を「××」としました。
(賛)
是此(?秋かも)釈子挂弟(?矛かも)輩(僧侶が弟子達をひっかけ上げている)
無頼(?)十六蛸入道(無法な行いをする16人の蛸入道)

  ××老先生博粲 無筆居士
(××様へ。ご笑納ください。無筆居士より)
(為書きの名前が消されているのは、中古品として他の人の手に渡った時に、持ち主が自分で消したか、買った人が消したのだと思います。消し方が雑なので素人によるものと想像します)

(落款)[田耕][幾(?)天(?)堂拙筆] 
(漢詩は、無筆居士(田耕(幾天堂))という方が書いた)

※博粲-粲を博す。
(さんをはくす。お笑いぐさ。人に読まれることを謙遜していう。)
※「××老先生」も「無筆居士」も僧侶ではないと推測します。
※「無筆」の号は、まだまだ下手だという謙遜でしょう。

(画)
 「戯書(ざれがき)十六羅漢図」といったところでしょうか?
 (「渡水羅漢図}がモチーフかも?)
 半託迦(はんだか)尊者(か?)が持つ香炉から立ち上る煙が龍と化し、騎乗の六羅漢は、蛸を釣る者(殺生)、休業する者(怠惰)、通い帳を持つ者(浪費)。さらにその先には女郎(色欲)の姿が・・。

(落款)「星洲晩漁」
(画は「星洲」という方が描いた)「晩漁」は文人好みの飾り語。

画と書は別の人が書いたようです。

 私の推測ですが、戒を守らなくてはならないはずの羅漢さんが、破戒行為をしようとしているところがユーモラスという事だと思います(僧侶が戒を守る事が大前提と考えられているからこそのユーモア)
 ちなみにこの回答をするに当たり問い合わせをした知人は 「そうあってはならない」という意味では?と言っていました。

参考にして下さい。

どちらにしても、「蛸とお坊さんの頭を掛け合わせて、笑いを取るような絵」ではないと思います。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

もしかすると、是秋、ではなくて、是此釈子ではないでしょうか?
その下の句も、ちょっとわかりかねますので、多分読み方が違うのでは
ないかと思います。是此釈子だと、このお釈迦様の弟子、とかの意になります。
現物をみていないのでなんとも言えませんが。

禅の世界として考えますと、抑下托上(よくげたくじょう)と言って、
あえて仏や祖師を卑下することで、自分自身を落としめ、仏、祖師の
尊さを説くという手法を用います。

おしゃかさまがお悟りを開かれ雪山から降りてくるところを、
「山に入ることは簡単で、降りることの方が難しいが、
 このやせっぽっちは、寒さに耐えかねて降りてきおったな」
というような表現で、おしゃかさましか、お悟りの世界から降りて
我々を救うことが出来なかったと表現したりするのです。

蛸入道に込められた意はわかりかねますが、十六という言葉から、
蛸は二匹。釣り上げたのも蛸だが、釣った本人も蛸である、という
ようにも捉えられます。
仏を求めて仏を釣り上げた。しかし、当の本人がすでに仏であった、
というようにも理解できます。

また、蛸はつかみどころがむつかしい、というところも、
仏とはなにか、というつかみどころがむつかしい言葉の姿を
現しているとも受け取れます。

千手観音という方がいます。人々を救うために、たくさんの手をもって
人々をあまさず救い上げるという功徳をもった観音様です。
この救い上げた蛸、つまり自分自身が、たくさんの手でもって人々を
救いあげる観音様となって行くのだ、という意とも取れます。

見た目としては面白おかしくしつつも、そこで留まらず、しっかりと
考えさせるという意味においては、近世の日本絵画、とくに画賛が
書かれたものは宗教的に優れたものが多いのではないかと、個人的に
思っています。

もちろん、わたしが書いたわけではありませんし、きちんと絵を見た
わけでもないので、あくまでご参考までの考察でしかありませんが、
「おかしい・悪い」以外の見方として、述べてみた次第です。

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有り難し
おきもち

まだまだ読みきれませんが。(再々々回答)

らいおん丸さん、こんにちは。

らいおん丸様の質問のお陰で、私も勉強になりました。

大晃師、光禪師の回答も参考にすれば、

■是此釈子掛弟輩;是れは此れ釈子(しゃくし)、弟輩(ていはい)を掛けり。(一人の僧侶が、多くの僧侶を(女性で)ひっかけている)
■無転十六蛸入道 ;無転なる十六の蛸入道。(不退転のはずの十六人の蛸入道よ(笑))
■為○○老先生博粲 無筆居士(○○先生の為。ご笑納ください。無筆居士)

戯画の女性は弁才天ではなく、普通の女性ですね。
水は、三途の川です。僧侶は此岸にいて浅瀬にいるのは三途の川を渡りきれていないことを表していると思います。浄土は此岸といます。

戯画の意味としては、
半託迦尊者が香煙で得意の龍を呼び出し、龍が女性を表したら多くの仲間は飛びついてしまった。煩悩を捨てきったはずの阿羅漢十六人の僧侶でもまだまだ煩悩は捨て切れていない蛸坊主ではないか。
(つまり私が、女性に惑わされるのは当然だというユーモアです)

落款は光禪師がいわれるように、私も、月耕だと尾形月耕かなと思いました。二つ目の落款が薄くて読めないので、確認してください。
ただし、月耕の画ではありません。

どうでしょうか?

※回答は1000字制限があるため、前の記載をそのまま残せません。

○なぜ遊印ではないか?
 
場所が見えていませんが、(たぶん)絵の左下に押してあるからです。普通は右上に押します。押す場所の約束事です。

○無筆居士の号について
 意味は、「まだまだ下手」という謙遜でつけられた名前です。老先生だけでなく、この方が使われる書号だと思います。

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おきもち

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質問者からのお礼

善應寺  星 大晃 様

早速の回答、誠に有難うございます。イメージが無いながらも詳しく説明をして下さったので、とても分かりやすく、また私が一生懸命考えて出した推論とは全く違う側面から回答をして下さったので、おかげさまで今まで不明瞭だった事を明確にする事が出来ました。また、やはり自国の文化は、日本語で学ぶべきだとも思いました。特に、『わざと尊師を仏や祖師を卑下することで、自分自身を落としめ、仏、祖師の尊さを説くという手法』は、日本文化に当てはめて考えると、とてもイメージがし易かったです。

勉強不足で大変申し訳ないのですが、観音菩薩は、「必要に応じてあらゆる姿(33のお姿)に変幻自在に姿を変えて、人々の前に現れる」という認識で宜しいのでしょうか?

ということは、この掛け軸の場合(このお礼メッセージの投稿の後に、画像URLを8つを投稿しますので、是非ご参照下さい!)は、千手観音の「人々を救うために、たくさんの手をもって人々をあまさず救い上げる」という功徳を、龍の沢山ある手を通して、人々に伝えたかったという意味が含まれているという事ですか?

まだまだ質問が終わりませんが、どうぞご教授下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。
またお忙しいところ、非常に申し訳ございませんが、この掛け軸の絵と書を実際に見て、何か新しい事が判明致しましたら、教えて下さいますと幸いです。

※私は、現在海外の大学院におりますが、こっちの本では、情報不足により分からない事が多々あり、非常に困っております。

・https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3xswfvmdbhxxp37rs63pwcz324-1001&uniqid=106719ce-7ff7-4db3-8c02-3c8e874367e6&viewtype=detail
・https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3xswfvmdbhxxp37rs63pwcz324-1001&uniqid=9f5e1581-13c0-424f-b846-c52d6aa81b1a&viewtype=detail
・https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3xswfvmdbhxxp37rs63pwcz324-1001&uniqid=194c5454-24d3-4a9b-bbff-fc7da0631352&viewtype=detail
・https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3xswfvmdbhxxp37rs63pwcz324-1001&uniqid=09ba0274-3208-406e-9dc4-0b741dbf63a5&viewtype=detail
・https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3xswfvmdbhxxp37rs63pwcz324-1001&uniqid=7586c619-65f2-409a-b13a-3204c334213a&viewtype=detail
・https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3xswfvmdbhxxp37rs63pwcz324-1001&uniqid=3ccbcb01-3ae9-4424-8c02-71b0a4082a71&viewtype=detail
・https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3xswfvmdbhxxp37rs63pwcz324-1001&uniqid=dea6e815-3f07-4895-819b-037640dabce5&viewtype=detail
・https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3xswfvmdbhxxp37rs63pwcz324-1001&uniqid=6abe6430-f88f-4c1a-9208-d19c03424a33&viewtype=detail

金剛座寺 染川智勇 様

わざわざネットで検索して下さり、本当にどうも有難うございます。またそれに伴い、少し恥ずかしい気持ちもあります(照笑)

掛け軸全体の絵と書ですが、上記に8つURLを付けました。是非ご参照下さいますよう、宜しくお願い致します!また、もし新たな事が何か判明致しましたら(染川様のお言葉をそのままお借りすると、【それ以上の意味を持たせたジョーク、宗教的な意義】がもし判明致しましたら)、ぜひ教えて頂きますと幸いです。

後、非常に詳しい説明も有難うございます。本当にずっと意味が分からず、全く読めなかった漢詩が読めて、更に意味までご丁寧に教えて頂けて、感無量です。心の中がスッキリ致しました。その他の説明も、とても分かりやすく、非常に助かりました。

因みにですが、要するに、この掛け軸は『シンガポールにいる老先生のために描かれたものであり、老先生宛のお手紙のようなもの=実際にシンガポールへ送った』という認識で宜しいのでしょうか?
それとも、シンガポールにいる老先生を願ってこの絵と書を描き、日本の自分の部屋に飾っていたのですか?

また、図像学についての質問ですが、観世音菩薩だと着物の女性で、他の観音の時だと、インド人が着ているような服装になるのですか?因みに、この着物の女性が手に持っているのは、今にも咲きそうなハスの花でしょうか?それとも、他のものでしょうか?

是非、ご教授下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。

☆☆☆《追加質問です》☆☆☆
善應寺  星 大晃 様
金剛座寺 染川智勇 様

お忙しいところ大変恐縮なのですが、図像学に関して三つほど、更に質問がございます。
① 十六羅漢のうち、一人が黒い壺のような物を手に持って上に掲げて、そこから煙がモクモクと出て、龍が表れているように見えます。これは、図像学的によくある表現なのですか?もしそうだとしたら、どのような意味があるのでしょうか?

②龍の口から出ている煙(?)、若しくは光のようなものは、何ですか?雲ですか?これにも、何か意味があるのでしょうか?

③十六羅漢は、ある程度誰が誰なのかを識別する事は可能なのでしょうか?(写実的な絵で識別可能は理解できますが、このような可愛らしいタッチの絵でも、識別可能ですか?)もし、できるとしたら、ある程度の特徴を教えて頂けますと幸いです。

沢山質問をしてしまいましたが、回答お待ちしております。宜しくお願い致します。

金剛座寺 染川智勇 様

本当に詳しく説明をして下さり、どうも有難うございます。本当に何も分からず、とても困っておりましたので、私なりにお気持ちを支払わさせて頂きます!!

ですが、なぜか前回回答して下さった文章が消え、私はアホなことに、スクリーンショットなどを撮っておりませんでしたので、とても困っております。大変お手数なのですが、もう一度、正しい漢詩とその意味を教えて頂けませんか?

また、この絵はコミカルな戯画という事で、お坊さんが海から釣り糸で蛸を釣っているのには、何かコミカル的な意味はあるのでしょうか?前回回答をして下さったものが消え、せっかく説明をして下さった山の蛸のところを覚えておりません。

図像学の質問を、丁寧に回答をして下さり、本当に有難うございます。十六羅漢の持ち物などは自分で調べます!
この女性は、天女のようだと思っておりましたが、弁才天だったのですね。目から鱗ばかりで、驚きます。また、「◯事居士」という書号だと教えて下さり、どうも有難うございます。この掛け軸にはサインのようなものが無いものだと勝手に決めつけておりましたので、分からなかった事が一つ一つ解決できている事がとても嬉しいです。

とても面倒だとは思いますが、こちらの回答もお待ちしております。二度手間をおかけして、本当に申し訳ございませんが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

《リクエスト》
金剛座寺 染川智勇 様

何度も何度も申し訳ございません。漢詩の意味は、前回と同じように説明をして頂きたいのです。ご迷惑をおかけしているのは、大変承知です。ですが、もしそうして頂けたら、とても有難いです。

※要するに、前回のように、「老」はこういう意味、「博」はこういう意味と最初から説明をして頂き、そのあとに、全文の漢詩を並べて、それぞれを一文ずつ、現代日本語で訳して頂きたいのです。

本当に宜しくお願い致します!!!

【落款について】
あまり沢山質問するのは申し訳ないと思い、今日一日中、本とにらめっこをして、「星洲晩漁」がなぜ遊印ではなく、落款なのかという理由を突き止めようとしたのですが、無理でした。もし宜しければ、なぜこの印が遊印ではなくて、落款なのか教えて頂けませんでしょうか?この印が右下にないので、落款なのでしょうか?また、詩句や成語ではないので、画号としての落款なのでしょうか?それとも、この掛け軸のように、書と画が別々にある場合、それぞれに落款を押すのが通常なのでしょうか? 本当にあれこれ質問してしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです・・・。

                                                                                                                                                                                    鳳林寺  光禪 様

素晴らしいご説明、そしてわざわざ詳しい方に聞いて下さり、どうも有難うございます。また、ご丁寧に画像を添付して下さり、本当に有難うございます。

実は、××のところは、わざと消されているのです。おそらく、書を描いた人が文字を間違えて描いてしまい、それを消してから(当時、墨を和紙から消す技術があったのかどうかは分かりませんが、)新たに、老先生〜始まる文を書いたと思われます。

ここから質問です。無筆居士の「無筆」という意味は、一体どのような意味で使われておりますか?辞書には、〈読み書きのできない人=無学〉と説明がありました。ですが、この人は文字を書いているので、読み書きができないという事はなかったと思います。ということは、要するに、自分自身を謙遜し、老先生への尊敬を高めるために、わざとこのように、「自分は読み書きのできない無学な人間です」という書号をつけたのでしょうか?

この女性は、女郎なのですね!!ずっと観音だと思っておりましたので、新たな発見です。「羅漢さんでも欲に負けそうだ」という意味にも捉えられるのですね!!あんまり日本の絵を勉強してこなかったのですが、このように学習ができて、とても楽しいです。本当に有り難うございます。お忙しいとは思いますが、ご回答宜しくお願い申し上げます。

金剛座寺 染川智勇 様

リクエストにお応えいただき、誠に有難うございます。また、その他の回答もご丁寧にどうも有難うございます。いえいえ、滅相もございません。染川様が培った知識を、私に分け与えて下さることを、心より感謝致します。泣

早速、漢文の「弟輩(ていはい)を掛けり。(一人の僧侶が、多くの僧侶を(女性で)ひっかけている) 」の部分ですが、弟輩というのは、具体的には、【僧侶】の意味ですか?ネットで、意味が出てきません。
また、「無転十六蛸入道 ;無転なる十六の蛸入道。(不退転のはずの十六人の蛸入道よ(笑)) 」の不退転というのは、もっとフランクな日本語を使えば、『あと、もう少しで浄土に着きそうだったのに・・・(なぜ女性に引っかかってしまうのだ笑)』というような感じですか?

無筆居士の号は、「まだまだ下手」という意味なのですね。という事は、ニュアンス的に言えば、この人は仏教について「まだまだ学ぶべきことが多くある」と思っている可能性があるから、自分自身で無筆居士の号をつけたという事でしょうか?

また、こんな事はお坊さんに聞くべきではないというのは百も承知なのですが、慶応・明治・大正あたりの日本では、実際にこの絵のテーマのように、お坊さんにも関わらず、女性への欲が耐えきれなかったお坊さんというのは、存在したのでしょうか?

A. 実際に多く存在していたから、この無筆居士さんは、「先生だって知っていると思うけど、、、ほら、◯◯区の▲▲町にあるお寺のお坊さんだって、◇◇区の◾️◇◾️町に住んでるお坊さんだって、女性への欲が断ち切れなかったじゃん?同じように、私にだって難しいんですよ」というような感じで、この書を書いたのでしょうか?

それとも、
B. あまりそのようなお坊さんは存在していなかったけれども、この無筆居士さんが個人的に女性への欲を断ち切れなかったから、戒律ではタブーな《鳴り止まぬ悪しきこの欲》への思いを正当化するために、わざとこの絵に十六羅漢のモチーフを持ち出して、「ほら、この絵を見てみてよ。あの十六羅漢さんだって、女性への欲には敵っていないじゃない。同じように私にだって難しいんです。。(汗)」というような感じなのでしょうか?

まだまだ質問が終わりませんが、どうぞ回答を宜しくお願い申し上げます。

鳳林寺 光禪 様

早速の回答、どうも有難うございます。とても助かります。このモチーフは、「渡水羅漢図」なのですね。ネットでチェックをしてみましたが、この川のようなものは、染川様が仰っていたように、羅漢さんが三途の川を渡っているのでしょうか?

無筆は、謙遜なのですね。という事は、この人は仏教について「まだまだ学ぶべきことが多くある」と思っている可能性があるから、自分自身で無筆居士の号をつけたのですか?それとも、仏教のことだけでなく、法律や政治、経済など他のこと全てに及んで、まだまだ学ぶべきことがあると思っているから、無筆居士としたのでしょうか?
あと、先生というのは、仏教のことを教えてくださる方(=お坊さん)を指していますか?

【落款印】
「星洲晩漁」と読める印、左下にあります。また、白文印と朱文印の落款が書のすぐ下にあります。
こちら3つのURLが全体写真と拡大です。私は、中国人の友達に「星洲晩漁」の意味を聞いたら、《星がいっぱいの晩に、釣りをする》というような意味だと教えてもらったので、遊印だと思いました。もちろん、その時にも星洲はシンガポールの意味もあると教えてもらいました。篆刻だから落款なのかと思い、いろいろ調べましたが、調べれば調べるほど、『遊印でも、近年では右下にあるものも見受けられる』『篆刻の遊印もある』『印の押し方には決まりがあるわけではない、実際に右下に落款印を押した作品もある=印の位置は、作者の考え方次第』『押されている位置ではなく、文面を読んで判断する』などなど、沢山の情報が出てきてしまい、かなり混乱しております。

・https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3xswfvmdbhxxp37rs63pwcz324-1001&uniqid=760390ff-024e-426e-9af6-40db16dc76ba&viewtype=detail
・https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3xswfvmdbhxxp37rs63pwcz324-1001&uniqid=a2cf065b-8540-4df9-8d85-f4b62d4f789a&viewtype=detail
・https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3xswfvmdbhxxp37rs63pwcz324-1001&uniqid=8d8d15b6-2db1-4668-946a-e2a142a13905&viewtype=detail

あと、もし可能でしたら、上記にも述べた「この絵が慶応・明治・大正あたりの日本では、実際にこの絵のテーマのように、お坊さんにも関わらず、女性への欲が耐えきれなかったお坊さんというのは、存在したのでしょうか?」という質問にも答えて頂きたいです。

染川様に質問したことをそのままコピーアンドペーストをしますが、

A. 実際に多く存在していたから、この無筆居士さんは、「先生だって知っていると思うけど、、、ほら、◯◯区の▲▲町にあるお寺のお坊さんだって、◇◇区の◾️◇◾️町に住んでるお坊さんだって、女性への欲が断ち切れなかったじゃん?同じように、私にだって難しいんですよ」というような感じで、この書を書いたのでしょうか?

それとも、
B. あまりそのようなお坊さんは存在していなかったけれども、この無筆居士さんが個人的に女性への欲を断ち切れなかったから、戒律ではタブーな《鳴り止まぬ悪しきこの欲》への思いを正当化するために、わざとこの絵に十六羅漢のモチーフを持ち出して、「ほら、この絵を見てみてよ。あの十六羅漢さんだって、女性への欲には敵っていないじゃない。同じように私にだって難しいんです。。(汗)」というような感じなのでしょうか?

それとも、他にCの可能性があるのでしょうか?

いつも長々となってしまい、大変申し訳ございませんが、どうぞ回答の程、宜しくお願い申し上げます。

鳳林寺  光禪 様

詳しく回答をして下さり、また、私の辺鄙でもあっただろう質問にも意見を述べて下さり、本当にどうも有難うございます。また、ご一緒に解読をして下さった方も本当にどうも有難うございます。私も、この場をお借りして心から感謝申し上げます。

私は、海外育ちで、また家自体の宗教も仏教ではないので、お寺やお坊さんと接するような機会が人生で一度も無かったという事もあり、本当に何も仏教世界の事は(日本画を通してからの独学でしか)知らなかったので、そんな私に一から丁寧に説明をして下さり、本当に感謝しています。とても助かりました。。今まで抱いていた疑問が解決できて、これで安心して夜はゆっくり眠れそうです。また、最後の「色欲」についての質問は、もしかしたらとても失礼に当たるのではないかと思い躊躇していたのですが、どうしても知りたかったので、聞いてしまいました。(これは、おそらく西洋的感覚からしたら、絶対に質問が飛んでくるであろうと思ったからです。)こんな失礼にあたるであろう質問にも、きちんと意見を述べて下さり、本当にどうも有難うございました。

絵と書が別々の人が描いたということが分かり、、それであれば、「老先生」の上の部分の消された後は、無筆居士さんが書を書いている時に【字を間違えたから消した】という仮説が明確に立てられると思いました。また龍に乗っている六人の羅漢さんが、「殺生」・「怠惰」・「浪費」・「色欲」を表しているというのは、とても興味深い発見でした。後、色欲を表す女性が龍の口の上に立っているという事は、《一番この欲を抑えることが男性にとって難しい》という事を表しているのではないかな?とも思いました。

この絵の何がどう面白いのかというユーモラスの説明も、本当に詳しく解説して下さって、有難うございます。私は、自分でも自覚をしておりますが、日本的感覚が少し欠如しているところがあるので、この絵の〝面白さ〟を誰でもわかるように説明をして下さったことを、本当に感謝致します。
最後まで解読にお付き合い下さり、本当にどうも有難うございました!!

鳳林寺  光禪 様

追加のご説明、どうも有難うございます。文字が消されているのは、中古品として他の人の手に渡った時に、持ち主か買主のどちらかが消したからなのですね。そこで一つまた新たに質問なのですが、当時の日本は和紙から墨をどのように消していたか(消しゴムのようなもの・・・?)をもしご存知でしたら、教えて頂きたいです。宜しくお願い致します。

※個人的には、刃物で削っているような気がしますが、もしかしたら何か液体をかけて消したのかもしれないと思っております。もし何か近代当時の消し方をご存知でしたら、ご教授ください。

鳳林寺 光禪 様

ネットだと確かな情報が出てこないので、ダメ元でこっちの書籍を見てみます。本当に、最後の最後まで有難うございました!

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ