正しさに苦しんでいる
現在、派遣社員として働いています。実働あと2週間ほどで契約終了です。
仕事がなくなると上司に「何かやることありますか?」と聞いていました。
しかし、たまたまある日、「仕事ないけど、昨日も聞いたし、多分仕事ないんだろうなー」と思ってちょっとボーッとしてたら、上司から「暇そうだね」と言われました。「自分が派遣に仕事振らないでおいてその言い方ないんじゃない?」と思って内心キレましたがその場はなんとか抑えました。
後日、また仕事がなくなりました。上司はめちゃめちゃ忙しそうでした。多分、今聞いても私に構う暇はないだろうと思いましたが、先日の「暇そうだね」の件があったので「何か仕事ありますか?」と聞いたところ「今日は勘弁して」と言われました。
意味がわかりませんでした。もう、上司に仕事あるか聞くのはやめようと思いました。
開き直って翌週から検定の勉強を始めました。時給で働いてるのに勉強するのはどうなの?と聞かれたら、ほぼ黒だと言う自覚はあります。しかし、一日中ボーッとしていたら鬱になるので、私はそうするしかありませんでした。
勉強していたら今度は「あからさまにやるの止めて」と言われました。その後は本のカバーを裏向きにして、なんの関係もないファイルを広げながら勉強しています。ほんとに、当て付けのように。
私から言わせると、派遣に仕事振るのが社員の仕事なのにそれを放棄しといて私を悪者にするんじゃねーよ。お前の都合で私を暇人や厄介者にしてんじゃねーよ。私に罪悪感を持たせようとするんじゃねーよ。仕事させたいならちゃんと仕事振れよ。って思っています。
私は間違っていないと思うし、私のこのような気持ちや検定の勉強したことは仕方のないことだと思っています。
ただ、正しいはずなのに苦しんでいる自分がいます。
私、どこが苦しいんでしょう?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分の責任において道を選択しましょう!
質問読ませていただきました。
正しいとか正義という言葉は、「自分にとって」正しかったり、正義だったりするに他なりません。誰が見ても、絶対的に正しいことや、絶対的な正義というものはありえないのです。
誰かにとって正しかったり正義だとしても、他の人には間違っていたり悪であるかもしれないということです。
お釈迦様が説かれる仏教では、苦しみの世界から抜けだそうと教えられています。苦しみを味わいたくないという人から見れば、正しく有り難い教えであります。
しかし、「自分は苦しみ続けたいんだ、余計なお世話だ」と本気で思っている人がいれば、余計なお世話ということになります。
このように素晴らしい仏教の教えであっても、それが全ての人に共通な絶対的正義とはなり得ないということです。
さて、ともこさんが無駄な時間を利用して資格の勉強をしようとするのは、「今のともこさん」にとっては正しいことかもしれません。
しかし、それは誰から見ても正しいことなのか、もしくは過去の自分から見ても正しいことなのか、そこに自信が持てず苦しんでいるのではないでしょうか?
ただし、人は周りの色んな意見を取り入れながらも、最終的には自分で判断して自分が正しいと思う道を選択しながら進んでいくしかありません。ともこさんが、色々考えた末にそれが正しいと判断し、周りからも特に咎められないというのであれば、空き時間にこそっと資格の勉強をするくらいはいいのではないでしょうか。
もしくは人を悪者にしたくない、人を憎みたくないというともこさんの気持ちが、自分自身を苦しめているのかもしれません。たしかに仕事を回してくれずに時間が空いてしまって暇を持てあますのは、会社の上司のせいかもしれません。
ただ、ともこさんは就業中に資格勉強をすること、実のところは迷っているように思われます。「私が間違っているかもしれないことをするのは、アイツのせいだ!」と人に責任をなすりつけて悪者にすることに、心が苦しんでいるのではないでしょうか。
ともこさんが色々考えた末に、どんな道を選択するかは自由であります。しかし、自分の選択の責任は自分自身が負わなければなりません。
誰かを悪者にするのではなく、「自分がこの道を選んだんだ」と思えることが出来れば、きっと苦しみから逃れられるでしょう。
何か少しでも参考にしてみてくださいね。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
そうですね。確かに今の私にとって正しいことをしているのだと思います。上司が「今日は勘弁して」と言ったのも、私に仕事を振らないのも、上司にとっては正しかったのだと思います。
「正しい」と「普通」って言葉は似ているのかも知れませんね。人それぞれの範囲があって、重なる部分もあるし、全く交わることのない部分もある。世界中の人の範囲の重なりあう部分は無いに等しいと思ってます。
全員の正しさに当てはまることは不可能だと改めてわかりました。ただ、私は私の正しいと思うことをしたいと思いました。自分だけは自分の味方でいてあげたいと思いました。
また、被害者ぶってる自分にも苛立ちを覚えているのかも知れません。「上司の正しさによって傷つけられた私」という思いが少なからずあります。上司はそうするしかなかったからそうしたのに、それを許せない自分を責めている気もします。
実は私、優しいんです。愛があるから苦しいんです。なんだ!私、いい人じゃん!るんるん!って気付かせてくれてありがとうございます。