ずっと死ぬ事しか考えられません。
幼い頃から、あまり人と上手く話せませんでした。
今思えば、障害だったのかも知れません。
もちろん友達もあまりいませんでした。
大人になり少し人と付き合いが出来て、変われたと思いました。
だから大丈夫だと思って、旦那と共に田舎にUターンしたのですが、周りは私達余所者が来た事をよくは思わなかったようです。
実家は少し離れ、親戚のおばあちゃんが独り暮らしした家に入る形になったのですが、家に入り家の前に車を置いている事が気にくわないようです。
私達が来なければ、勝手に自由に使えましたから。
現に引っ越しする際も引っ越してからも、家の前に車がずっとあり大変でした。
親戚に話すと、家の前からはどかしましたが、入り口付近を封鎖するように停められるようになりました。
車を出せない時や当たりそうな時、出るのをやめたりしました。
家の左側の人達は、挨拶は無視、私が外に出ていると睨み付けブツブツ。
怖くてよく聞き取れませんでしたが、罵声を浴びせられた時もあります。
あること無いことそこの人達が言っているようで、最初はそんなに悪く当たらなかった人達もドンドン態度が悪くなり、ほとんど村八分状態です。
役場や警察にも相談しましたが、やっている一軒がもともと役場に勤め、コネのある人だとわかると聞かなかった無かったことをされました。
高齢の祖父母のため、住んでいた親戚のおばあちゃんの為に移り住もうなどと安易に移り住んだ私が馬鹿だったのです。
過疎化で閉鎖的な田舎に戻ること、それがどんなことなのか...
実家もあるので大丈夫だろうと考えましたが、無理だったのでしょう。
確かにいい人も居ますが、数えるほどで...
ドンドン評判の悪くなり、住みにくくなる両親に申し訳なく。
古い家で私達にはあまりお金もなく、入って五年足らずでこの家の解体費用も用意しないといけないなんて...でも居るだけでストレスのたまるここにいていいのかと思う日々で疲れてきました。
私達が居なくなれば、地元の人達は喜ぶ人がたくさんいるでしょう。
色々やられてきて、相談出来る人もいません。
去年思い余って、自殺未遂しそうになり、警察が両親にその事を伝えた為、両親も少しは私の状況を知りました。
申し訳なく、だからってどうしようも出来る訳もなく...ずっと死ぬ事が頭から離れません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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その環境から離れましょう。安心の居場所へ。
そうですか。。。それは住みにくいですね。
毎日のことですから、我慢して済む話でもないですよね。
あちらには、あちらの言い分があるのでしょうがねぇ。歩み寄れるところは 歩み寄りながら、こちらの言い分も届くといいのですがね。
彼は何ておっしゃっていますか?
一緒に生きていくのは、彼とですから。お二人がもう限界なのであれば、その環境から離れましょう。
住まいを変わるって簡単なことじゃないけれど、周りの心無い態度に あなたが自殺を図る必要なんてないのですよ。それならば、別の環境に身を置きましょう。
安心の居場所へ。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
周りはほとんど駐車場スペースがなく、段々畑みたいな坂に家が密集している感じの所で、その人たちには駐車場がないのです。
もともとおばあさんの独り暮らしで、ほとんど車は置かれていなかったので、周りは勝手に使ったりUターンスベースにしていたようです。
現に引っ越しが決まっても、勝手に車を停めていたのです。
そこに私達が入って使えなくなったので、よく思ってないようです。
両親の手前下手なことも出来ず、出来るだけ馴染もうと挨拶や関わろうとしましたが、無理なようです。
死ぬくらいなら、逃げなさい。
自殺するくらいなら、仕事辞めればよかったのに...なんてテレビを見ながら思っていましたが、いざそうなると死ぬことしか考えられなくなるんですね。
その立場にならないと、わからないこともたくさんあるということを知りました。
私が死んで喜ぶ人がたくさんいるのに、死ぬなんて馬鹿なことなのでしょう。
旦那にも最初はやっていたようですが、自営業でほとんど日中いないので周りは関わりを持っていません。
1ヶ月に一回寺にいったり、親の用事でウロウロしている私にのみやっているので、私の辛さはあまりわかってないのでしょう。
この家にお金がかかり、また別な所に写るお金もなく。この家を放置しても、親に文句がいくんです。
前いた親戚のおばあちゃんが去年亡くなったので、どうするべきか考えています。