いじめ主犯格への対応
職場でのいじめが原因で退職します。
同僚からの言葉の暴力で精神を病みました。
ですが、私はあえて相手を許したく思い、責めずに笑顔できちんと今までのお礼を言って、綺麗にいなくなるつもりです。
なのに身体は不安でいっぱいで急に気持ちが不安定になったり、涙が出たり、また、周りからはちゃんと抗議して退職すべきだと言われ、悩んでおります。
いじめの主犯格は、いつも誰かをいじめており、周りの人も明日は我が身と困っています。
しかし、戦う気力や元気は私にはもうあまり残されておらず、あえて許すことで私の気持ちが逆に伝わるんじゃないかと勝手に思っています。
最後に喧嘩別れはしたくない、また常識的ではないですが、あえて愛情や自分のまっすぐな気持ちで相手との最後を迎えるのもありなんじゃないか、という考えです。
やられたからやり返す、というのが嫌いだという自分の信念からもきています。
私は退職日に、どのようにいじめの主犯格に接して職場を去ればいいでしょうか?
アドバイス頂けると幸いです、よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなた自身の今後のための選択を
ご相談拝読しました。
人間の世界にはいじめがあって本当に悲しいですね。大人になってもいじめをなくせないという事実にはその悲しさを深く突きつけられます。
心を病みながらもよく頑張んばって来られましたね。お疲れ様でございました。
さて、退職にあたり、どうすればよいか、どうすべきか。色々考えも浮かぶでしょうがやはり「あなた自身がどうしたいか」でしょう。後悔の無いように。
あえて愛情や受容という態度で臨むのもひとつ
完全無視もひとつ
きちんと直接「私はあなたの言葉で傷ついた。本当に辛かった。心まで病んだ。あなたにはそのことをこれからずっと考えていってほしい。」などあなたの気持ちをぶつけるのもひとつ
直接では感情が高ぶったり、不安や恐怖があって難しいのなら手紙を渡すのもひとつ
その人がこれからどうこうということにも関心があるかもしれませんが、何よりもあなた自身がどう振る舞うことで今回の件を受け止めていけるのかが問題です。
言葉の暴力に対し同じように言葉の暴力で返すことは仏教的には戒められるところです。
しかし、それときちんと自分の気持ちをを伝えるということはまた別でしょう。
愛情やまっすぐな気持ちが相手に伝わるかはわかりません。どんな方法にしろ、相手に伝わる…相手から自分が期待するリアクションをもらえるという結果をもって良しとし、それ以外ならば後悔するというのであれば難しいでしょう。
たとえ相手がどんなリアクションだろうと、あなたの中で「私はやり切った」と思える行動を選択しましょう。
応援しています。