素直になりたい
私が4歳の時に母親が再婚し、6つ離れている妹がいます。再婚してしばらくしてから私への当たりがキツくなり、過保護で過干渉な母になりました。その時の感情だけで私を怒鳴ったり叩いたり暴言は日常茶飯事で、髪の毛を持って引きずりまわされたり雨の日に何時間も外に出されたりもありました。そんな子供時代だったので、他人にうまく甘えることも出来ず、信用することも出来ず、自分の意見もあまり主張するタイプでもなく過ごしてきましたが、昨年お付き合いした男性に私の短所を言われ、悔しさと悲しさでいっぱいになりました。相手は私の為を思って、直したらもっと良くなると嫌なことでも言ってくれたのに、私はそれを素直に受け入れる事が出来ません。どうしても、自分の感情だけで発していた母親を思い出し、私の為というのが信用できません。
でもその男性は確かに相手のために良いことも悪いことも素直に伝える人でした。先週お別れしてしまいましたが、今となってはその方と出会った事にとても感謝しています。嫌われるぐらい嫌な事を相手に伝えるというのはすごく勇気のいることだと思います。
少しずつ私の気持ちも、変わらないと!と思ってはいるんですが、この年になるまで人様からの忠告やアドバイスを受けた事もなく、私自身聞く耳を持たず生きてきましたので、受け入れ方、変わる方法が分かりません。
人を信じるにはどうしたらいいでしょうか?
結婚した相手にも暴言暴力を受け、13年ほど前に離婚しました。
自分が傷つくのが嫌だから最初から信じないのかもしれません。怖いと言い訳して逃げて、本当に人とぶつかりあったこともなく、人と向き合ったこともないと思います。まず、自分に向き合うことも出来ていないような気がします。
私と真剣に向き合ってくれる人には、鎧を脱いで私も自分をさらけ出してみたいのですが、母親と元旦那から受けた暴力と暴言にまだ繋がれているような感覚です。手放したいです。
楽に自分や人と向き合いたいです。
宜しくお願いします。
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無常だから無相。信じるために疑い吟味する。
仏教ではすべては無常と言います。
無常とは、瞬間瞬間ごとに変化していて毎回新しいということです。
アニメ映画は、1コマ1コ別々の絵を、連続で見せて一連の動画だと錯覚させています。本当は、瞬間ごとに新しい絵なのです。ですから、ウサギの絵を瞬時に犬の絵に変えることも可能です。
実は、この世のあらゆる現象も、瞬間ごとに生じては滅しているのです。
仏様のように緻密な観察眼で世界を見れば、
お母さんという1人の人格も、連続した動画に見えて、実は瞬間ごとに新しい姿なのです。
ですから、お母さん1人だけを見ても、毎秒必ず怒っているわけではありませんよね。
ましてたくさんの人間達を見ると、皆が怖い人であるとか、ある人が年がら年中常に怖い性格であるとか、決まっているわけではないのです。
無常であるため決まった姿形がない、これを「無相」と言います。
私達は、頭の中で想像した概念で「きっとまた○○だ、どうせまた○○だ」と決めつけたくなります。その方が、毎回真剣に考えて判断するより楽でコスパが良いからです。
しかし、「皆がそうではない」「毎回必ずそうとは決まっていない」と、心の中で冷静に理解しておきましょう。
皆があなたを攻撃するわけではないし、同じ人物でも毎回必ず悪意を持って接してくるわけでもないのです。
人を信じるために、あなたが想像している人物像を疑い、面倒ですが、事実はどうなのか吟味しましょう。