自己嫌悪の塊
私は自己嫌悪の塊です。
何も良いところがなく、何の取り柄もなく、人望、才能、学力、体力、気力、精神力、財力、センス、心の豊かさ優しさ、心の余裕、見た目も、中身も外見もとにかく全てにおいて何ひとつ良いところがありません。
こんな自分が大嫌い。
私が奥さんで気の毒だし、私がお母さんで可哀想。こんな娘でガッカリだろうし、こんな嫁さんいなくてもいいでしょう。
私みたいな人間、なぜ存在するのでしょう。
他人様を安心させるために存在するのですか。
自分より下の人間を見て、他人様は喜んでも、私は地獄です。
この世は地獄。
死後の世界の方が今より幸せを感じられますか。そうだとしたら、寿命が来るまでこの惨めな役回りで生きていくしかありませんか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を無理に好きにならなくて良い
拝見いたしました。
私も自分があまり好きではありません。「なんであのとき、こうしなかったのかなぁ」と毎日のように後悔しています。
ですが、だからこそ成長できるのだと考えています。
自己嫌悪して自分の欠点がわかる。
これを治すために努力すれば、次はその失敗を犯さなくなる。
つまり人として、より大きな人になることができる。
自分に完全に満足していれば、それ以上の人間にはなることはできないのでしょう。
自己嫌悪は悪いこととは限らないと思います。
さて、あなたが嫌いと思っていることには2種類に分けられます。
自分でどうにかできることと、できないことです。
特に見た目は、整形技術があるとしても、自分でどうにかできることではありません。
それよりも、自分でなんとかできそうな部分から、少しずつ始めましょう。
ここの違いこそあれ、勉強すれば学力は必ず付きます。必死に勉強すれば精神力も自ずとつくでしょう。
しかし、ここで大切なことは、自分の意志で行動を始めることです。
あなたが心の底から変わりたいのであれば、誰かが暗闇から連れ出してくれるのを待つのではなく、自分の足で踏み出していかなければなりません。
私は連れ出しません。ただ、自分の意志で歩いていけるよう、サポートするだけです。
私にはいいところがない、とあなたはおっしゃいました。
今は、そうなのかもしれません。
しかし、あなたが少しでも成長した未来では、今の状況を体験したことが長所になるはずです。
今のあなたのように、自己嫌悪に苛まれている人は、日本中で数え切れないほどいるでしょう。
その弱さに本心で寄り添うことができる心は、紛れもなく長所であり、強みです。
全ては、捉え方から始まります。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなりすみませんでした。
これまでの経験がいずれ長所になれるうに歩んでいきたいと思います。