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猫の最期について

回答数回答 1
有り難し有り難し 14

先日仕事中子猫が車に轢かれ
もがいてるのを見かけました。

私は理由をつけて見守るだけ、近くのガソリンスタンドの方が動かなくなった猫をショベルで引き上げ、ダンボールに入れてました。

私も猫を飼っていて全て保護猫です。

まだ生きてたかもしれない
咄嗟に行動できなかった
次は幸せな生を受けてほしい

いろんなことを考えながら今に至ります。

私達は猫に対してどんなことができるのでしょう
彼らはそのような死を迎えた時どうなるのでしょう
答えがないのはわかってます
ただただ苦しいです


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

命の現実を仏法に出会うご縁として

ご相談拝読しました。

それはショッキングな場面を見てしまいましたね。

「なんとかしてあげたかった」

という思いは切なるものがあったことと思います。

しかし私たちが何かを「かわいそう」と思ったり「助けたい」と思ったりする気持ちは徹底せず、しかも実践もできない無力なものです。

ず~っとその気持ちを持つこともできないし、気持ちを持っていても助けてあげられません。

それどころか私たちは命をいただいて生きていますし、歩いたり車を運転したりする中で無数の虫の命を奪っています。

猫のことは気になっても虫の命は気にならないとか、気にしていたはずの命のことも、自分の都合に合わせてしか気にしていけないという悲しみを持っていてるのが私たち人間の生々しい姿です。

そんな悲しむべき事を悲しめない私たちの姿を悲しんでくださるのが仏様の大悲(だいひ)です。

大悲は仏様からの願いです。その願いは仏法に出会ってほしいという願いに極まります。

仏様に成るということがなければ私たちは誰かや何かを真の意味では救えません。それは仏様に成って超人的な力で命を思うままにコントロールするということではなく、

仏様に成る=真理に目覚める

ということがあってはじめて目の前の命の現実を受け止めていけるのだということです。

私たちが思い計らう以前に、この世の現実は法則の通りに動いています。そこに「こうあってほしい」「こうあるべき」と思い計らうことが実は法則に逆らうことになっているのかもしれません。

それはけして何かや誰かを大切に思う気持ちを否定するものではなく、むしろ本当にその気持ちを徹底せしめ、しかも成し遂げさせ得るものは何かという問題です。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

お礼するのが遅れてすみませんでした。

当時のことは今でもありありと思い出します。その後個人的に保護猫活動を始め今では団体に所属してます。

少しでも当時の自分に向き合える活動を続けたいと思います。

ありがとうございました。

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