我が子とそうではない子
現在、親戚の子を預かって、面倒を見ています。
上の子と同い年の子です。
その子自身は、お利口さん過ぎるくらいにお利口さんです。
けれど、まだ幼児の為、失敗もすれば、間違いもしますし、喧嘩やイタズラもします。
私は、極力我が子と同じように…とは、思って接しているつもりです。
けれど、やっぱり、我が子とそうではない子では、全く違うんです。
我が子に感じるような、心からの、この子の為なら何でもできる!と思えるような、そんな愛情は、我が子以外に抱くことが出来ません。
なので、同じように接して、叱ったり褒めたりしているつもりでも、差があるような気がして、常に罪悪感を感じてしまいます。
その子の母親は、暇な時顔を出す程度で、頼りになりません。
夫も仕事が忙しい為、私が体調を崩し、熱を出した日も、なんとか、お風呂や食事の用意をしたりと、やって来ました。我が子ならば、自ら望んだ子ですし、責任があるので、なんとか頑張ろう…と思えるのですが、親戚の子に対しては、なんで、こんな大変な思いをしなくては、いけないんだろう、と思ってしまいます。
両親とも暮らせず、親戚の家に預けられている、その子自身が1番可哀想なのは、分かっているのですが、私自身も我が子の育児だけでも手一杯で、余裕も持てず、罪悪感や不安でいっぱいいっぱいです。
どんな心持ちで、その子と接していけばいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分のお腹から産まれた子とそうでない子の差はあって当然です。
「だから」という気持ちと「だけど」という気持ち。
「分け隔てなく接したい」けど、「できない。」
「できない」という部分で苦しむより、
「分け隔てなく接したい」という願いを大切に想ってくれてるだけでありがたいです。
逆に、自分にはその意識なくても相手の受け取り方によって、
これは区別してると思われることも出てくるかもしれません。
子どもの成長に必要なことは、血のつながりかそうでないかではありません。
人として、社会に出る上で必要な伝えるべきことは重なる部分が多いんではないでしょうか。
なので、自分の子、他人の子だから違うこともでてくることは割り切った上で、
それでも、両方の子に伝えたい事、どちらであろうが生きてることで必要なことは伝えてほしいと思います。
全てを同じという前提で悩むよりも、
全てを同じにすることはできないけれど、必要なことはどちらにも伝え関わる。
私の近しい人はそうやって、子連れ婚の方との生活を頑張っています。
それぞれのご事情があるかと思いますので、参考になるかは自信ないですが
そんな視点もあること、気づいていただけると有り難いです。
質問者からのお礼
回答を頂き、ありがとうございました。
生きるうえで、大事なことだけ、伝えていけばいいんだ、と思ったら、肩の力が抜けて、泣けてしまいました。
この先も、まだまだ悩みながらの日々ですが、我が子にも、そうではない子にも、悩みながらも、伝え続ける、ということが、大切なのかな、と思いました。
深刻に捉えすぎてしまって、胃の痛い日々でしたが、ホッとして、気持ちが楽になりました。
本当に感謝しています。ありがとうございました。