お願いの仕方
ある宗教団体に入られてる方と仲良くさせて頂いているのですが、その方に悩み事を相談した時に、
「南無妙法蓮華経を心の中で唱えたら必ず願いが叶うよ」と言いました。
実際叶った事がいくつもあると言うので、正直100は信じてないのですが、心の中で言ったりするようになりました。
この間ある神社に行き、お参りをし、お守りも頂いて来ました。
何か、あっちでもお願いし、こっちでもお願いし…で、いいのだろうか??と疑問を持つようになりました。
あっちこっちでお願いをしたりしても良いのでしょうか。
宗教の事に無知すぎて、ごめんなさい。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お願いを縁として
ご相談拝読しました。
信教の自由があるので、その方の信仰が正しいとか間違っているとか良いとか悪いとかは言えません。
その方の信仰はその方のもの。なのでこの回答は私の信仰で書きます。そしてあなたはそれらを鵜呑みにするのでなくあなたの信仰を求めてみてください。
さて、「お願い事をするだけで願いが叶う」という現象は仏教的には考えられないと私は思います。
仏教は「因果の道理」を説きます。平たく言うと「物事には原因があって条件がととのって結果が生じる」ということです。
たとえば病気を治すという願掛けをしたとして、その「お願い事をする」という因と「願いがかなう(病気が治る)」という果は因果関係が結ばれていないので道理ではありません。病気が治るのは身体の自然治癒力や薬の補助によるものです。
その道理を超える因果関係を結びつけるために人々が考えるものが「神」や「霊」などの目に見えざる「運命の支配者」や「世界の創造主」のような絶対的な存在ですが、仏教ではそのような存在を認めません。
仏様とは道理に目覚めた人間です。人間が仏様に成ったのです。ですから超能力などはありません。そのように説かれるものや、お釈迦様以外の仏様は道理に目覚めたことを讃えるなどの比喩表現でしょう。
おっしゃる通りあっちこっちでお願いをしたりするのは神仏を拝んでいるのではなく、自分の欲望を拝んでいるということになるでしょう。
神仏を自分のお願いを叶える手段とし、神仏よりも自分のお願い事が重要度が高いという在り方です。
神様は別として、仏様にお参りするとは「私が仏様の願いを聞く」ということです。私が願いをかけるのでなく、仏様の方が私たちに「道理に目覚めなさい」と願いをかけてくださっているのです。
ですがそうした仏様の願いに気づくきっかけとして、私が自分の願いをかける中でその深まりや展開によって仏様の願いに出会わせていただくということがあります。
なのでお願い事を否定するわけではありません。むしろその願いを通して、自分は本当は何を願っているのか、そしてどうなることが本当の願いの成就なのかということを仏に聞かせていただくご縁としていきましょう。
これから是非そのご縁を結んでいきましょう。
質問者からのお礼
とても勉強になりました。
ありがとうございました。