追善供養とは
お坊さんがお金儲けをするための口実なのですか?
なぜこのような愚かな考えに到ったのかといえば、仏のような人が実際にいらっしゃるのなら全ての人を等しく救ってあげるからです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そのとおりです!
失礼します。
おっしゃる通り、仏様は全てを救ってくれます。
そしてその仏様というのはシャカという元・人間であって、
そして私たちのご先祖様みんなもシャカと同じ仏様になっていて、
私たちを見守っています。
あれ?とお思いでしょうか、どうでしょうか。
ご先祖様が「仏様」になっているのなら、何で定期的に冥福をお祈りするのか、と。
1周忌とか3回忌とか果ては100回忌とか。
これは「追善供養」といって、仏様に感謝を申し上げるのが大筋で正解なんです。
「ありがとう、おじいちゃんおばあちゃん」です。
いつも見守ってくれて…でもいいですし、
あなた方の一挙手一投足のおかげで、
私が今存在出来ています…でもいいです。
そして自分が仏様の身になったとしたら
「毎回こうやって集まってくれてありがとうなぁ」と思うと思いませんか?
こちら側が、手を合わせてる時、仏様もこちらに向かって手を合わせてくれています。
その「お互い様」な状態が供養ですね。
この供養を真摯に行うことで、心が落ち着いたり自分自身を見直したりも出来ます。
供養は亡くなった方だけに効能があるんじゃなくって、生きている我々自身にも向けて行なっています。
1時間の追善供養を毎日するのは大抵不可能なので、年を空けて定期的に行うといったイメージです。
あと、檀家さんみなさんのお布施、元来お寺の維持に使います。
(古い寺だと瓦変えるだけでトンデモないお金が…涙)
お寺はお檀家さんたちの互助会でやりくりしているので、
諸行無常とはいえ、お寺のお金がなくなると、位牌堂に安位されている
江戸時代からのご先祖様たちが路頭に迷ってしまいます。
そして、私たち僧侶はお寺(仏様)に仕える身なので、そのから毎月お給金を頂いて生活します。
世の中には、そのお給金釣り上げて高級車とか乗り回したりしている人もいるので、
そう写るであろうことはよく分かります。ホント良くない。良くない!
日々の生活の中で
拝読させて頂きました。
私は毎日朝起きて掃除をして本堂にてお勤めさせて頂きます。その際には仏様のご供養もさせて頂き、沢山のご先祖様のご供養もさせて頂きます。また様々な形でお亡くなりになられた方々のご供養をさせて頂きます。そしてその後お墓参りします。
そして一日が始まります。
そして寝る前に手を合わせて仏様やご先祖様方やあまたの霊位をご供養させて頂きます。
合間に寝ている時にもどなたか訪れる方がいらっしゃいますから心を込めてご供養させて頂きます。
そのように様々なご縁ある方々有縁無縁の方々を心を込めてご供養させて頂きます。
そのような関係性の中で私達は日々生きていますし、私達が天寿を全うする時には彼岸に参らせて頂きたいと思います。