力の弱い相手や動物を狙った事件への怒り
偶然、猫をたくさん連れ去っていた人のニュースを見ました。
事件の詳細については書きませんが、ストレス発散のためというのが動機だそうです。
人を信頼して普通に生活していた猫が、突然そんな目に遭いどんなに怖かったかと思うと、身の毛もよだつ思いです。
動物たちは止めてとは言えませんし、誰かに訴えることもできません。法律で手厚く守られてもいません。
動物に限らず、子ども、お年寄り、障がい者の虐待や、女性をターゲットにした事件はよくテレビで耳にします。
そういった情報を見聞きする度、気分が塞いだり、嫌悪感がこみ上げてきたりして、汚い感情でいっぱいになります。
自分より力が弱かったり、抵抗できない相手を傷付けてストレス発散をするという行為が、本当に信じられず、ショックです。
なので、テレビも見たい番組がある時以外は付けませんし、ネットもSNSも必要な範囲でしか見ません。
でも、人の家や車、病院の待合室、飲食店などで情報番組が流れていることもありますし、日常の人間関係の中で話題に上ることもあるので、情報が入って来ないようにするのは難しいです。
宗教的なお立場ではこのような行いをする人も救済する対象なのだとおもいます。ですが、理不尽にアイデンティティを傷付けられた人や、命を落とした動物たちのことを思うと、とても許せません。
私が怒ってどうにかなる問題ではありませんが、こういった情報に触れる度に衝撃を受け、どうしてこんなことが起こるのかと悲しくなり、ネガティブな感情からなかなか抜け出せなくなります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
輪廻転生から解脱するまで続く苦しみ
蚊取り線香を使ったことがある人は、すごい数の生きものを殺しています。
私もそうです。
そう考えると、他人への怒りより、「自分もたいして変わらない」という方向に関心が行ってしまいます。
見た目が可愛い動物だと感情移入しやすいですが、猫だって、野良猫の場合はネズミなどをたくさん殺しています。
また、猫のオスは、子連れのメスをみつけたとき、そのメスと交尾するために、そのメスが連れている子猫を殺害して、メスを独身にさせて発情させるのです。
猫も自分の遺伝子を残すため必死ですから仕方ないですが、罪のない子猫を平気で殺すのです。
何が言いたいかというと、虫も猫も人間も、殺し殺され、食べて食べられる醜い輪廻転生の世界にいるかぎり、苦しみを繰り返すのです。
仏教では、悟って輪廻転生から卒業することを目指します。
修行を完成して殺し殺される世界から解脱するまで、本当の救いはどこにもないのかもしれませんね。
だから仏教では「おたがいさま」の精神で、悪人に対しても慈悲を心がけるのです。
悟っていない私達は、仏様に比べたらみんな悪人なので。
追記
世の中は自分も他者も煩悩まみれですが、それに対して怒る(嫌がる)のもまた煩悩です。
仏教は、悩み苦しみを減らすための教えだと思います。怒りはストレスにつながるので、現実を受け入れ怒りを冷ました方が人生が楽になるでしょう。
と、頭でわかっていてもなかなか難しいですが。
質問者からのお礼
お忙しい中、回答いただきありがとうございます。
正直、仏教の知識が浅い私のような者からすると、命を繋ぐための殺生や防御のための攻撃と、気晴らしのような理由でのそれとは同じに考えられません。許せないという感情もなかなか手放せないです。でも、手放せないから苦しいのだということも理解しています…。
仏様の視点だと、やはり理由に関係なく殺生は殺生、暴力は暴力なのでしょうか。
ただ、自分が悪人ということは納得できます。
自分にとって有害な虫などは無感情に殺生しますし、仕事で衝突があれば容赦無く相手を責めたりもします。それは私が勝手に作っている例外だと思います。相手からすると私もひどい人間です。
仏教の修行をしていると、そういう世の中に生きていることも受け入れられるようになるのでしょうか…。
追記ありがとうございます。
話を聴いていただくことで、少し心が落ち着きました。