心のもっていきかた
お世話になります。
このようなサイトがありびっくりしました。私も大学で仏教を学んでいました。
本日、電車に乗っていると理不尽に車掌さんに怒鳴る男性がいました。
私は車掌室付近に立っていたのですが、こちらまでやってきて、ドアをドンドン叩き、
「アナウンスが下手だ」
「聞き取りにくいはっきり話せ」
と、烈火のごとく怒鳴り暴れまわっていました。
私が聞いた限りアナウンスは普通です。落ち度はなかったと思います。
すぐにその場を離れて遠巻きで見ていたのですが、車掌さんは終始丁寧に対応し、そのあとも他の駅員さんが来て事情を聴いたりとプチ騒動になり、車庫に戻るはずの電車を止めていたのでダイヤも遅延です。
すぐ怒鳴る人はこのように丁寧に扱われ、自分の言い分をぶちまけてすっきりするのに、怒鳴られた車掌さん、駅員さんは仕事とは言え意味不明な内容で責められて頭を下げるのはかわいそうです。また、他乗客も不快な思いとやや電車遅延に巻き込まれ我慢を強いられています。
このように怒鳴ったり、わめいたりして自分の言い分をさらけ出す人がいることにより、その他の人の迷惑を被ったり嫌な気持ちになるのは理不尽ですし、怒鳴ったもんがちになっていることが許せません
もちろん一番嫌な思いをしたのは車掌さんですが、私もこの出来事を思い出しては腹をたてています。
このようなとき、どう心をもっていくのがよいのでしょうか。
ちなみに他の人には
「負けるが勝ち、車掌さんは自分が謝ることでいざこざや他の乗客を守った」
と言われましたが、私としてはもうつまみ出してほしかったのが本音です。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そもそも勝ちも負けなど無い
拝
そうですね
確かにお気持ち理解できます
でもね
人を愛して愛される素敵な人がいるのと同じように
怒りに囚われ誰にも相手にされずどうかしている人は
この世に沢山おります
前者が勝者か後者が勝者か
車掌さんが同じ土俵にたって
喧嘩していたなら
勝ち負けもありましょうが
喧嘩して無いのですから
今回の件の勝ち負けはもえぎさんの中のこだわりの中にだけあるのです
電車の中の出来事だけ切り取れば
怒りを表した人が得をしたように見えましょうが
人生という大きな尺度で見てみたら人の幸せ、平穏を守る人の方が実際には満たされているものです
反対に怒りを表す人はたびあるごとに怒りに囚われて止まぬものです
何か受け入れられない事があり、または思い通りにならなければすぐ怒り、孤独と悲しみに暮れる
いつも激情の波を自分で作っているようなものです
それで周りを巻き込んで迷惑ばかりかけて嫌われる
別に負かす必要など無く
彼は理性を自分のものに出来ないという部分で既に己に負けているのです
問題は貴方も又その怒りに反応している事です
これは危険な事です
自身の中に受容しきれていない問題が無いものか
心静かに振り返ってみて下さい
合掌
もう一度見つめてみて下さいね
拝読させて頂きました。
その車掌さんは皆さんが見守っていて下さいます。皆さんの温かい眼差しに囲まれています。
そのお怒りになった方は皆さんが見ています。そしてその様な怒りに囚われてしまいこれからもどんどん世界を狭めていきますでしょう。そして生きていくことがどんどん苦しくなっていくことでしょう。
そう思うといかがでしょうか?
どのように生きていくことがいいのか自ずと気がつくのではないでしょうか?
あなたがお健やかに穏やかに生きていかれます様切にお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
その通りでした。そもそも勝ち負けなんてないですね。私が勝手にこだわって腹をたてていただけなのだと気がつかされました。私はいつも自分のことではないのに自分のことのように考え込んでしまうときがあります。
このような自分にならないためにも、どうすればいいのか考えたいと思います。