世渡りが上手くいきません
人付き合いがうまくできず、顔色ばかり伺って、家に帰るとぐったり。
休みの日は誰かに会う気になれず、一人でヨガにいったり、家で飲んでたりしています。
職場では若い人が多く、何かと肩身がせまいです。
同年代は結婚しているのか少なく、「この人何でまだ働いてんの?結婚できないのかな?ヤバイな」とか思われているんじゃないかとビクビクしています。結果すごく疲れます。
真面目で真っ直ぐすぎるとよく言われますが、褒められてないように聞こえて嬉しくありません。
「肩の力を抜いたらいいよ〜」と言われると腹が立ちます。
私は真面目にやろうと意識しているわけではなく、普通にやってるだけなのに、真面目だねとか、肩の力を抜けとか言われると自分を否定されてるようで気分が悪いです。
職場で誰とでもフランクに接している人がいますが、職場的にも扱いやすいのでしょう。私は友達でもない人にフランクにできないので扱いにくい人間です。
扱いにくいけど、私は今まで一生懸命生きてきました。それを否定されたくないです。
この世は私にとって生きにくい世界。
自分のペースで生きていくしかないけれど、辛いです。
職場もうまくなじめるよう努力しましたが失敗しました。もう辞めたいです。
でも37歳の派遣社員なので、今の職場と同条件程度の仕事に巡り合えないかも、心折れて働けなくなって引きこもってしまいそうで転職に踏み切れません。
もう人生八方塞がりです。辛いです。どうすればいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「一生懸命さ」は自分だけのもの
こんばんは。仕事場ですと、色んな人がいて、しかも学生時代と違って「自分と違う性格の人とも付き合わなきゃならない」のは大変ですね。
文章を読んでいると、なにか「自分を守りたい」という気持ちが強いと感じます。
「そんなの、当たり前じゃない?」と思うかも知れません。けれど、その「折り合い下手」は、集団で成果を上げていく社会では、自他共にやりにくいかも知れないな…と思います。
「一生懸命さ」は自分だけのもの、と回答タイトルに書きました。貴女が一生懸命か否か・頑張っているか否かは、貴女だけが評価できるものであり、他人から「こう見えるよ」と言われても揺らぐものではありません。「否定されている気がする」だけです。「いや、一生懸命には見えないよ」と言われても、「あなたにはそう見えるのね」だけで済む話です。
けれどね、私は思うのです。「それは全否定しているんじゃない、人格を言ってるんじゃない。何らかの行動を指しているんだ。何かやりにくい結果につながる行動を、私がしたらしい」とね。
人間が成長・変化していくとしたら、ガラッと総取っ替えになる訳はありません。「角が取れた」という言葉がありますが、変化は少しずつです。自分の行動を何か少し変えて、相手の変化とか結果の変化を見る。そうやって、お互い折り合って物事を進めて行くのが、仕事というものではないでしょうか。
よく聞いてみて下さい。「どんな所が真面目だって感じたのですか?」「どんな時に、肩の力が入っていると感じるのですか?」と。「全部」とか抽象的な答えであれば、聞き流して結構です。何にも依拠していない言葉に揺らぐ必要はありません。けれど、「あの時の、この行動」という具体的な話が出たら、ぜひ受け止めて検討してみて下さい。「そこが柔軟になったら、仕事がもっとうまく進むのかな?」と考えてみて下さい。
質問者からのお礼
ありがとうございます。参考にします。