自分を変えるための人生再スタート
「ハスノハ」を知って、自分の弱さに渇をいただきたく質問いたします。
今日はこれをしようとか、今できることは今しようという気持ちは常にあるのですが、ほとんどは周囲の誘惑に負けてしまいます。
私に潜む悪い私が、後でも大丈夫、平気、平気と先送りを促すかのように、善い私が無意識にも引きずりまわされているようです。
結局、後の祭りで気がついたときは自分のとった行動に後悔する結末です。やらなければ、目的を達成できたのに、やらなかった自分に苛立ちを感じる毎日です。
大人色に染まっていない時は、失敗を恐れず学問や夢に向かって瞳を輝かせて努力をしていたのに、恥ずかしながら今更このような愚痴をこぼしても、もう立派な大人だからしっかりしなさいと呆れられるところでしょうか。
人って甘い蜜を吸うとなかなか元の道にたどり着けなくなる傾向にあるように思います。最近の私は自ら現実逃避して、そうした自分に善悪を言い聞かせながら、何でこんなことをやっているんだろうと本当の自分を見失いかけています。
お坊様は冷静にも落ち着いて修行や日常のおつとめを行っていらっしゃるのに、今の自分が嫌で嫌で仕方がありません。
前置きが長くなりましたが、私の意思が弱い自分に負けないように、心新たに人生の折り返しを再出発するためのご助言を頂戴したく、ご回答のほど、よろしくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愚や愚や、汝を如何せん
この世界のあらゆる事物には原因と結果があります。原因の無い結果はありません。世界は原因と結果の網の目のような繋がりによって成り立っており、我々もまたその網の目の1つです。
私たちはただただ、原因を積み重ねていく事によって生きています。
誠実に生きれば善い自分になり、不誠実に生きれば自らの首を絞めながら反省できない自分になります。これを仏教語で自業自得といいます。
自業自得と言いますと、悪い事をしたのは自分のせいでしょというようなイメージがありますね。それも自業自得ですが、反面、善い自業自得もあります。
別に立派な聖人君子になる必要はありません。これだけ覚えてください。
「悪い自業自得は自分で自分を苦しめる。そんな生き方バカバカしい。善い自業自得は自然と楽になる。だからやるべき事やった方がほうが楽。」これだけです。シンプルでしょう?
肩の力を抜いて、愚かだからやらない。賢いからやる。これだけシンプルだからできる。仏教、有り難し。
字数が余ったので強化付けします。グサっと行きますよ?
先ほど原因と結果の話をしましたが、結果には3種類あります。
今すぐ現れる結果、近い将来に現れる結果、遠い将来に現れる結果です。これを「三時業」(さんじごう)と言います。道元禅師はこの三時業をわきまえないで現実逃避をするような連中は「邪見の輩(ともがら)」だからお友達になってはいけませんとおっしゃっています。
三時業をわきまえないと物の考え方が頭のネジが飛んでるようになるだけではなく、実生活が地獄に堕ちたような悪循環になって、長きに渡って苦しみますよと口を酸っぱくして忠告なさっています。
抜け出せないほどの悪循環になる前に気付けて良かったではありませんか。三時の業を心に刻み、愚かだった自分と絶縁断交しましょう。あなたの懺悔はhasunohaが受けました。今からあなたは別人です。頑張りましょう。お坊さんが応援しています。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
原因と結果の繰り返しの毎日。生まれてからこれまで何かの原因を造りだし、何かしらの結果をもたらし成長してきたのでしょう。
今日から自分との戦いになりますが、過去は過去として三時業を覚えて、中長期的な視野を見据え毎日の結果を積み重ねて参りたいと思います。
私の存在を一人のお坊様でも認めていただき、理解いただいたことに感謝し、私もこちらで質問した以上、裏切りのない行動をいたします。
ご多忙にもかかわらず、ご回答いただきまして誠にありがとうございました。
心が折れ曲がりそうなとき、駆け込み寺として、またご助言をいただけたら幸いです。
ありがとうございました。