自分だけが不幸な気がして、人の幸せを喜べません
少し長くなるかも知れませんが、私の悩みを聞いて頂きたいです。
私は28歳女性です。仕事もしておらず、恋人もいません。
今まで結婚間近までお付き合いした方もいましたが他の女性を選ばれ、他の方とお付き合いをしても別に大事なものができたようで振られてしまってばかりです。
自分に自信がなくなり美容整形もしましたが、それでもまだ自分が醜く感じて仕方ないです。
自暴自棄になり風俗で働いたこともあります。
同級生はもう結婚し子供も2人目など、順風満帆に生きている方がほとんどです。SNSで子供の体調が悪かったのによくなって安心した、というような投稿を見ると心の中で舌打ちをしている自分がいますし、友達の結婚式もただただ気が重く素直に喜べません。
見た目だけでなく、中身もどんどん醜くなっているように感じます。
こんな風だから、誰にも愛されず、誰の特別な存在にもなる事が出来ないのは重々頭ではわかっているのですが、どうして私だけが、という思いがとても強く、生きている意味がわかりません。
お金持ちにならなくてもいい、ただ周りのように普通に結婚して、普通に家庭を持ちたいのです。
長くなってしまいましたが、最後までお読み頂きありがとうございます。
私はこれからどのような心持ちで生きていけばいいのでしょうか。
どうか1人でも多くの方のお考えを聞かせて頂きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
努力しない、頑張らない
少し遠回りになりますが、仏教の話をします。
仏教は何を目指すか?心の平穏です。では、どうやってその心の平穏を得るか?悟りです。ところが悟りって、もの凄く誤解されています。悟りは修行に修行を重ね、徳を積んで人としてレベルアップし、何だかよく分からないけど凄そうな聖人になるイメージがありますよね。でも、実は逆の発想なのです。
人は生まれると、誰に教わったわけでもなく、自然と呼吸をします。おっぱいを飲むことも教わっていないのに出来ます。心臓だって勝手に動いていますし、寂しいとか嬉しいという感情も勝手に湧いてきます。生まれながらに、そういうことができる能力を持っているわけですね。
それと同じように、実は「心を平穏にする能力も生まれながらに持っている」と、お釈迦さまは悟りを開いて気付いたのです。心の平穏DNAと呼べば少しイメージしやすいでしょうか。
だから仏教ではこう考えます。
厳しい修行をして崇高な心を育てようとしても、真の心の平穏は得られない。逆に、心の平穏DNAを邪魔する私ガー私ガー、俺ガー俺ガーという余分な心を手放さないといけない。
まりんさまも頑張る方向がそんな感じになっているのですよ。幸せになりたい!美しくなりたい!あの人と私を比べたら!そういう方向性で頑張れば頑張るほど、望みのハードルがドンドン高くなって永遠にゴールに到着しなくなってしまうわけです。
エレベーターに乗っていたらお爺さんお婆さんが入ってきた。どうも同じ階で降りるらしい。エレベーターが到着しました。ちょっと扉を手で押さえ、一言だけ「どうぞ」と言ってあげます。お爺さんお婆さんがちょっと微笑んで先に降りる。そうするとなんだか知らないけど自分の心がちょっぴり晴れやかになった。そういう時の晴れやかなアレが、心の平穏DNAです。
変に特別な努力はしなくて良いのです。そういう日常のホンのちょっとの心の平穏DNA活性化を、1つでも多く、1つでも多くやっていくと、だんだん世界も自分も変わってきますよ。