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人を嫌いになる事が多くなりました

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有り難し有り難し 14

30代になってから友人の言動に傷ついたりイライラする事が多くなり、すぐ関係を断ちたくなってしまいます。
若い頃はこんなに友達のことを嫌いになることはありませんでした。
人それぞれ考えかたや感覚が違うこともわかりますし、友人に気を使ってほしいと強要するのも間違っていますが、すぐ嫌になってしまう気持ちを抑えられず、どう処理したらよいかわかりません。
人の嫌なところを見つけることが得意になってしまった自分に嫌気がさしています。長年の友人と連絡を絶って1年が経ち、関係を経とうと考えている友人が他にも数名います。このままだと友人を全員失ってしまいそうで怖いです。友人を許せない自分はどのように考えを改めたら良いでしょうか。

2019年7月8日 22:31

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

確かにそれは、孤独への道

こんばんは。のっけから辛い感じですみません。
読んでいて、何となく「みんな、歳をとると頑固になるのよねー」という、昔から言い古された言葉が浮かびました。つまりまあ、老化のことです。
あなたご自身、「嫌になるのを抑えられない」と言うのですから、先ずは、「自分はまだ、自分の器を大きくできる。私はこれからも成長していく」という自己像は持っていただきたいものです。
読んでいて感じたのは、現代のスマホ使用の長さです。
これって、「自分の関心あることだけ」を見ようとする道具ですよね。まあ、勿論広告が絡んできますけれど、基本的には「好きなものだけ見ていられる」道具。問題が起きたら、基本的にそれは機械の側に原因がある。「フリーズしたのは、私が悪かったから」とか、ありえませんよね。機械が故障してる、バグってるなど、「私は悪くない」です。
その「私は悪くない」で過ごす時間が、人間の老化を推進しているような気がして、ならないのです。
ですから、とりあえずは「スマホの害かも」と漠然と考えてみてはいかがでしょうか。「スマホと二人暮らし」は実態としては「孤独」ですから。

2019年7月10日 0:51
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...

「人が嫌い・怖い・苦手」問答一覧

他人に興味を持てない、怖い

見てくださりありがとうございます。 自分は他人に興味が無い(もしくは人嫌い?)かもと思っています。 他人に興味が無いのは恐らく中学生くらいのときからで、これは両親の離婚と引越しによる環境の変化で心に余裕がなくなったせいかなと考えています。 人嫌いのきっかけは、大学の卒業研究のペアの人と上手くいかず、思い詰めてしまい社会不安障害になってしまったことだと考えています。 ペアの人は私の都合を気にせず勝手に研究を進めたり(共同でやるべきものでした)、私がほとんど研究を手伝わないなど共通の友達に言いふらしたり、私が先に就活を終えたことを知るとその日から完全に無視したりと、当時の私にはキツいものでした。社会不安障害は医者曰く治りやすいタイプだったそうで、良くなっております。 現在職場での休憩時間中や勤務中のたわいもない雑談、飲み会での話題に興味を持てず、話を終わらせてしまうことが多々あります。 話しかけてくれている相手に気まずい思いをさせたり、気を使わせてしまい、それがしんどいです。 また医療関係の職に就いているので他職種との連携が必須です。医者や看護師など他職種の方と仕事以外の会話が弾まないためか、相手から信頼してもらいにくいのも悩みです。人間関係を広げたり深めたりすることができず、人として医療関係者として成長できないのではという怖さもあります。 書いているうちに、人に興味がない、嫌いというより、人への恐怖感を持っているのかもと思ってきました。 人に興味を持ちたいです。嫌い、怖いという気持ちを少なくしたいです。 医療関係者としてこのままだとまずい気がします。 前回の質問で頂いた回答の通り、これもしっかり休んだり充実した生活を送ればなんとかなるものでしょうか。 お坊さんの考えを教えていただけないでしょうか? 支離滅裂になってしまいましたが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 6
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人間は怖いけど繋がりたい欲とのつきあい方

・中学生くらいの頃から、自然性(身体)と人間性(脳)のことで葛藤をかかえています。 主訴は、人間社会や人間関係などの人間性から生まれる生活(慣習など)がたまらなくしんどいことです。 ・30代前半ではじめて、自我が人間性の部分にがんじがらめになっていたことにたくさん気づくきっかけがあり(わかりやすい例だと、他者からの言動をうけとって性の自己認識が歪んでいたことなど)、 ここ1年ほどそれとどうつき合うか、心理面と肉体的な作用の観点から勉強しています。 ただどうしても、人間性に向き合うとこじれた部分は垣間見るし、人間的な生き方ってしんどいと感じてしまいます。 脳の特性上否応なくわく精神的な欲とずっと折り合いをつける途方のなさに人間しんどい、、のような気持ちになります。 ・仏教的には、人間関係性や人間社会性から離れたいと願うことは、人間の生き方としてどう捉えられるのでしょうか?? ・現実的には、これだけ人間社会にどっぷり浸かって生きてきたので その恩恵からは逃れられないだろうと思いつつ(人間性や人間社会の仕組みのおかげで生きてこれていることもわかる)、 山と里の境のような物理的距離で、人里から離れて自然8割くらいの環境で暮らしたいと夢想してしまいます。 ・だけれど、人間性に傷つきながら、人間関係欲のようなものが強いです。 精神的にしようがない欲だと見ながら、人間はこわいけど人間と繋がりたいのような欲とどのように折り合いをつけていればよいでしょうか? うまくまとめられませんでしたが、アドバイス頂ければうれしいです。

有り難し有り難し 6
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人の集まりが苦手です、親戚の人やいとこ達が苦手です

私は、親戚の人達や、いとこの人達の集まりが苦手です。集まりの中にいても、話はうまくできないし、私が話すとシーンとなってしまって、私はいないほうがいいかなと思ってしまって、自分から集まりにも行かないです。 お正月やお盆や、兄が県外から帰って来る時など、よく家に集まって、バーベキューをしたり、ご飯食べたり、話をしに集まるので、毎回、皆が集まる時はその場にいないといけないのに、だめだなと思うんやけど、なかなか直せません。小さい時からやから。 私は皆が集まる所から、だいたい離れています。ご飯は一緒に食べるけど、食べるとだいたいいつも離れて別の部屋に行きます。気まずい空気になるのが怖いから。 皆がわちゃわちゃ楽しそうに話をしてるのを遠くから聞いてて、いいなぁて思います。孤独感を感じます。もう30になるから、しかたないかなぁ… 親戚の人やいとこの人達など、久しぶりに会っても何を話せばいいのか分からないから、あまり話さないし、気まずくなるから、なるべく避けてしまいます。いけないなぁと思うけど、小さい時からやから、やっぱり、しょうがないかなぁ… 私はダメやなぁと思います。誰かが来ると、嫌やなぁとか、早く帰ってほしいとか、せっかく休みやのにゆっくりできんとか、そんな事考えたらいかんけど、考えてしまいます。 誰と話す時も、会話がうまく続かなくて、自分が言いたい事もうまく言えなくて、だから、周りの人達が、楽しそうに話してるのがうらやましいです。でも、私はやっぱりできません。

有り難し有り難し 11
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傷ついた体験から臆病になりました。

現状問題としては、自他共に無職であることだと認識しています。きっかけは不登校からひきこもりです。どれだけ駄々を捏ねても、他人が人の為に出来ることなど人生においては無くて、自らが動く他はないのでしょう。それを分かっておきながら、他人を責め、自分も責め、何もかもを嫌だと泣き喚いて、日々を無為に過ごし、その過去ですら足枷になる中、真綿で首を絞められるような生活を送っています。 人から指摘されるであろうあらゆる非難や中傷や叱咤激励は、私の中からいつだって私に向けて放たれます、もはや何を言われてもそこに胸を打たれる鮮やかさも無く、ただ心のささくれかの如く事ある毎に引き攣るよう痛むだけです。 しかし、もはやどれほどの痛みを以てしても私は変われないのでしょう、そうすると私を変えてしまうのが肉親の喪失ではないかと思い、恐ろしいです。 そうまでしないと変われないのか、どこまでも怠惰で臆病で卑屈で救いようのない者なんだと。 自らを責めても何のメリットもないことは承知です、でも人に身の上話をする中で自らを痛めつけることを交えなければ、他者からの傷つく言葉が殊更目立つでしょうから、そうして自分を守る癖がついてしまいました。 自分を守るために自分を傷つける、最悪な防衛ですね。そういった手段でしか自分を労われません。 このような性根のねじ曲がった己がただただ口惜しいです。 両親は私の有様を嘆きこそすれ親身に寄り添うことはありません、嘆くことに治めることで精一杯なのでしょう、そうでもしないと私を追い出してしまいたくなるでしょうから(普段からその片鱗は見受けられます)。 過去に深く傷つきました、未だに癒えた気はしません、何かにつけ傷口に塩を塗りこまれ、おかしな癒着をして、もう以前の私には戻れなくなった。 しかし傷つくのは誰しもが日常茶飯事のはず。 ただ私は運がなかったのでしょう、車に轢かれ誰も通りがからず、雨風に晒され血は流れ傷口が塞がっても折れた骨はそのままに、見た目だけやや不格好ながらも立ち上がれた、しかし轢かれたことを知られていない私は誰からも手を差し伸べられずに途方もなく立ちすくむことしか出来ない、歩こうとすれば足は激しく痛み、また轢かれるのではないか今度も誰も助けてくれやしない、こわいこわいこわい。 今の私はおおよそこんな感じでしょうか。

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