自分は毒親ではないかと思っています
9才の息子に対して、ものすごく怒ってしまいます。
私の中のスイッチが入ると、全く制御が効かなくなります。頭や身体を叩くこと、物を投げつけることもあります。(怪我をさせたことは一度もないです。)
当然泣きますが、泣いても許す気持ちにはならず、言葉で攻め続けるのです。
イライラがMAXから怒りに変わり、許せない!という気持ちになります。
そのあとは自己嫌悪に陥りますが、一方でスッキリしたような気持ちも感じるので、自分が怖くなります。
5才くらいの頃から、始まったと思います。頻繁ではないですが、月に一度くらいでしょうか。
当時は、保育園で落ちつきがなく、行動面で先生からよくない報告があった時などに、帰りの車内から叱咤が始まり、帰宅後にエスカレートするパターンだったと記憶しています。
今は4年生になり、それなりに学校生活に馴染んでいるようですが、コミュニケーションがうまくないようで友達関係はいつも心配しています。(大きなトラブルはありませんが、ちょっとしたことを私の方が悩み過ぎたり、先のことを心配し過ぎているかもしれません。)
勉強はそこそこ出来る方なので、勉強においては周りに一目置かれる存在でいてほしい、またそうすることが、彼がいじめに合わないための方法だと考えているような面もあります。
そのせいか、最近は学習面で私の思うようにならないといちいち口出し、スイッチが入ることが多くなりました。
中学に入ってから成績上位にいられるように、そして高校でトップクラスの学校に入れるように、という強い思いがありそれに突き動かされている気がします。(ちなみに中学受験はしないです)
スイッチが入ったときの自分があまりにもすごくて、言葉も汚く罵りますし、なぜだか、彼に対すり恨みのような、憎しみのような気持ちが沸くことがあるのです。
今朝は朝からそのようなことがあり、学校から帰って来ても会いたくない気持ちですし、またスイッチが入る恐怖で顔を見たくありません。
どうにも、気持ちのコントロールが難しいのです。逃げ出したくなりこともあります。
ちなみに、夫は家事育児、すごく手伝ってくれます。
私自身は、叩かれたり厳しく育てられましたが、暴言を吐かれることはなかったです。
実親とはある事情で疎遠になっています。
怒り、支配欲、周りに認められたい気持ちが強い
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
親は皆毒を持ってます
拝読させて頂きました
はじめに最後の文に認められた
「自身が厳しく育てられた」との事実
ここに今回の悩みを解く鍵があります
親から受けた厳しさと
お子様に向ける厳しさに
ここにはとても深い相関関係があります
まず子供を叱ると怒る事の区別は理解されている事と思います
しかし多くは混同されやすいものです
人として和をもって生きてもらうために必要な厳しさはありましょうが、この度のように子供を守る為親が子供を傷つけるというのはどうあっても理屈が通りません
どうしてこうなりやすいのかと申しますと
親は無意識に自分のコピーを作ろうとします
そして自分の思い通りにならないと怒り、悲しみを子供にぶつけます
これでは親が学ぶほうが先決という事になります
子供を導くにはまだまだという事
しかしながら、親は皆皆同じ道を通り子供から学ぶのです
もし聞けるのでしたら
お母様に聞かれてみると良いです
人の親なら殆どの人が貴女の悩みを理解できるでしょう
自分のしてしまう事
いろんな方に話してみてください
私が皆毒親と申した所以
親は幼い頃自分の身に起きた良い事だけでなく
やりたかったけど出来なかった事や好みまで押し付け勉強やらスポーツやら何でも己の思うものを子供に詰め込もうとします
酷ければ自分の100点を押し付けます
ですが、本来自由に育って強く優しくある事より
人として重要な事は無いのに、やれ勉強だなんだと己の小さな世界に押し込めようとします
毒親とはこういう事です
中でも親につらく厳しくされた事も肯定し繰り返すことは最も危険ですので己に気をつけてくださいませ
怒りは麻薬です
強烈なドーパミンを分泌します
怒って気持ち良いということはこの事でございます
今の奥様は自身を怒りに翻弄される事ないようしっかりと保たれる事でしょう
お子様は道具のように思ってはなりません
厳しくしたから思い通りになるという事はありません
例え思い通りになったとしても
脆い人が鍛錬した刀は所詮脆いものです
文だけでは伝えきれたかわかりませんが
貴女が勇気を出して怒りの奴隷にならず
怒りを鎮めてから行動を起こせる
強い賢い貴女になれますよう
心に平穏が訪れますよう
深くお祈りしておきますね
合掌