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仏像は開眼しないと霊が入るのでしょうか?

回答数回答 1
有り難し有り難し 7

お世話になっております。
夜分遅くに申し訳ございません。

以前、質問にお答え頂きまして、誠にありがとうございました。

今回、質問したいことなのですが、
私は聖観音様の仏像を肌身離さず、
持ち歩いているのですが、つい先日、

私の知り合いのお坊さんに
開眼しないと霊が入ることがあると教えて下さいました。

ただ、開眼供養していないとは言え、
私が持っている聖観音様には、沢山のことに気付かされ、
沢山、助けて頂きました。

物凄く感謝していますし、hasunohaのサイトで、
他の方の質問を拝見した所、気持ちがこもっていたら、
開眼しなくても大丈夫とのことは、すでにわかっていたので、

全く開眼せずに、毎日、仏像を拝むことと、
真言 (1日30分~50分前後) を唱えることで、
観音様への感謝の気持ちを伝えていました。

それほど、観音様にはお世話になっているので、
仏像は、開眼しないと霊が入ると言うご意見は、
正直、信じられないのですが、そんなことってあるのでしょうか?

また、もう一点質問なのですが、
開眼することによって、観音様の性格?のようなものが
変わったりすることなどあるのでしょうか?

私は、今持っている開眼前の観音様に
大変お世話になっているので、
もし性格?のようなものが変わったりするのでしたら、
正直、開眼をしたくないとも思っています。

一生死ぬまで、この観音様を持ち続けたいです。

ですが、開眼することによって、
観音様が喜んでくださるのでしたら、
それこそ、普段できない観音様へのお礼ができるので、
開眼したいとも思っています。

また、もし本当に、
私の知り合いのお坊さんが仰るように、
霊などが入ったりするのでしたら、
開眼は必要だとも思っています・・・

因みに、知り合いのお坊さんは、
儲けのためとかでは全くなく、
善意で、無料で開眼してくださるとのことでしたので、

悪気などは全くないのは、わかっていますし、
そのお坊さんが良かれと思って、
私のために仰ってくださっていることも、
しっかり理解しているだけに、どうするか悩んでいます。

毎回、長文になってしまい、
大変申し訳ございません。

いつもhasunohaの、お坊様には、
ご迷惑をおかけしてしまい、大変恐縮ですが、
教えて頂けましたら、幸いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「仏作って魂入れず」ということわざがあります。

おはようございます。
お知り合いのお坊様はあくまで親切心で仰っておられるとのこと。
私もそのように感じました。
昔から「仏作って魂入れず」ということわざがあります。
肝心なものが抜けていることの例えだそうです。
同じようなことわざに「画竜点睛を欠く」ということわざもあります。
竜の画に目が描かれていないという状態です。
これらは、私が勝手に我見で申していることではありません。

さて、仏像の開眼ですが、古来から行われていました。
聖武天皇が大仏の開眼供養を大々的に行ったのは、教科書にも載っていますよね。
「開眼しないと霊が入る」というのは、「仏様をお迎えするのだからきちんとした形で行わないといけませんよ」という戒めの言葉に受け取れます。
あなた様とお知り合いのお坊様の信頼関係は存じませんが、お話を伺った限りでは開眼されることをお勧めします。
開眼によって仏様の性格=お心が変わってしまうことはありませんので、ご安心ください。

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有り難し
おきもち

一般家庭から仏門に入った2児の父です。 妻と2人でお寺をお守りしておりま...
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質問者からのお礼

>前透様

とてもご丁寧に教えて下さり、誠にありがとうございます。

なるほど!
確かに、「仏作って魂入れず」と言うことわざがあるように、
やっぱり開眼は、とても大切なことですね。

魂を入れることにより、真言をあげたり、
仏像への感謝の気持ちをお伝えするのも、
さらに気持ちが入っていきそうな気がします。

聖武天皇も、外国から僧侶をお迎えして、
大々的に開眼供養をしたように、改めてその大切さを教えて頂きました。

「開眼しないと霊が入る」というのは、戒めのお言葉とのことですが、
私もそれを聞いて、改めてそういう言葉なのかもしれないと気が付かされました。

また、開眼することによって仏様の性格やお心が変わってしまうことはないとのことで、
そこもとても安心できましたし、やっぱり魂を入れてこそ、仏像なのかもしれませんので、
開眼供養をお願いしてもらおうと思います。

その方が観音様も喜んでくださるかもしれませんので^^

この度は、とても詳しく、また親切に教えて下さり、
誠にありがとうございました。

今後ももしかしたら、お世話になるかもしれませんが、
その時は、どうぞよろしくお願い致します。

こうして前透様とのご縁が生まれたことに感謝致します。

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

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