仏像は開眼しないと霊が入るのでしょうか?
お世話になっております。
夜分遅くに申し訳ございません。
以前、質問にお答え頂きまして、誠にありがとうございました。
今回、質問したいことなのですが、
私は聖観音様の仏像を肌身離さず、
持ち歩いているのですが、つい先日、
私の知り合いのお坊さんに
開眼しないと霊が入ることがあると教えて下さいました。
ただ、開眼供養していないとは言え、
私が持っている聖観音様には、沢山のことに気付かされ、
沢山、助けて頂きました。
物凄く感謝していますし、hasunohaのサイトで、
他の方の質問を拝見した所、気持ちがこもっていたら、
開眼しなくても大丈夫とのことは、すでにわかっていたので、
全く開眼せずに、毎日、仏像を拝むことと、
真言 (1日30分~50分前後) を唱えることで、
観音様への感謝の気持ちを伝えていました。
それほど、観音様にはお世話になっているので、
仏像は、開眼しないと霊が入ると言うご意見は、
正直、信じられないのですが、そんなことってあるのでしょうか?
また、もう一点質問なのですが、
開眼することによって、観音様の性格?のようなものが
変わったりすることなどあるのでしょうか?
私は、今持っている開眼前の観音様に
大変お世話になっているので、
もし性格?のようなものが変わったりするのでしたら、
正直、開眼をしたくないとも思っています。
一生死ぬまで、この観音様を持ち続けたいです。
ですが、開眼することによって、
観音様が喜んでくださるのでしたら、
それこそ、普段できない観音様へのお礼ができるので、
開眼したいとも思っています。
また、もし本当に、
私の知り合いのお坊さんが仰るように、
霊などが入ったりするのでしたら、
開眼は必要だとも思っています・・・
因みに、知り合いのお坊さんは、
儲けのためとかでは全くなく、
善意で、無料で開眼してくださるとのことでしたので、
悪気などは全くないのは、わかっていますし、
そのお坊さんが良かれと思って、
私のために仰ってくださっていることも、
しっかり理解しているだけに、どうするか悩んでいます。
毎回、長文になってしまい、
大変申し訳ございません。
いつもhasunohaの、お坊様には、
ご迷惑をおかけしてしまい、大変恐縮ですが、
教えて頂けましたら、幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「仏作って魂入れず」ということわざがあります。
おはようございます。
お知り合いのお坊様はあくまで親切心で仰っておられるとのこと。
私もそのように感じました。
昔から「仏作って魂入れず」ということわざがあります。
肝心なものが抜けていることの例えだそうです。
同じようなことわざに「画竜点睛を欠く」ということわざもあります。
竜の画に目が描かれていないという状態です。
これらは、私が勝手に我見で申していることではありません。
さて、仏像の開眼ですが、古来から行われていました。
聖武天皇が大仏の開眼供養を大々的に行ったのは、教科書にも載っていますよね。
「開眼しないと霊が入る」というのは、「仏様をお迎えするのだからきちんとした形で行わないといけませんよ」という戒めの言葉に受け取れます。
あなた様とお知り合いのお坊様の信頼関係は存じませんが、お話を伺った限りでは開眼されることをお勧めします。
開眼によって仏様の性格=お心が変わってしまうことはありませんので、ご安心ください。
質問者からのお礼
>前透様
とてもご丁寧に教えて下さり、誠にありがとうございます。
なるほど!
確かに、「仏作って魂入れず」と言うことわざがあるように、
やっぱり開眼は、とても大切なことですね。
魂を入れることにより、真言をあげたり、
仏像への感謝の気持ちをお伝えするのも、
さらに気持ちが入っていきそうな気がします。
聖武天皇も、外国から僧侶をお迎えして、
大々的に開眼供養をしたように、改めてその大切さを教えて頂きました。
「開眼しないと霊が入る」というのは、戒めのお言葉とのことですが、
私もそれを聞いて、改めてそういう言葉なのかもしれないと気が付かされました。
また、開眼することによって仏様の性格やお心が変わってしまうことはないとのことで、
そこもとても安心できましたし、やっぱり魂を入れてこそ、仏像なのかもしれませんので、
開眼供養をお願いしてもらおうと思います。
その方が観音様も喜んでくださるかもしれませんので^^
この度は、とても詳しく、また親切に教えて下さり、
誠にありがとうございました。
今後ももしかしたら、お世話になるかもしれませんが、
その時は、どうぞよろしくお願い致します。
こうして前透様とのご縁が生まれたことに感謝致します。