hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

彼女と別れた後について

回答数回答 1
有り難し有り難し 7

僕は1ヶ月ほど前まで付き合っていた人がいました。相手は一つ下です。付き合っていた期間は3ヶ月ほどです。

別れた理由は、向こうに振られたからです。嫌いになったからというわけではないので、いまでもたまにSNSを通じて話すことはあります。

しかし先日、僕の3つ上の仲の良い先輩から「○○○ちゃん(僕の元カノ)に告られたんだけど爆笑」といったことを話され、ショックをうけました。僕は恋愛経験が浅く、付き合ったのが初めてだったので、別れて1ヶ月後もまだ好きという気持ちが残っていたため、余計にショックでした。

その先輩には、断ろうと思ってるんだけど、学校で割と会ったりするからなんか気まずいんだよね〜、とか会う度に愚痴を聞かされています。更に、元カノもSNSの投稿や一言で好きな人がいるっていうアピールを遠回しな言い方でしてくるので余計に辛いです。

僕はその先輩とはこれからも仲良くしていきたいし、出来れば元カノもあまり傷つけたくはないのですが、どうすればいいでしょうか?助けてください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

友達という意味を深める

皆さんライトな意味で友達という言葉を使いますが、友情・友人関係でいることこそは最も傷つけあわない関係です。
友人で居た時は何でもなかったのに、どうして告白するしない、付き合う・別れたで損得感が生まれるのでしょうね。
元々何も減ってもいません、増えてももいません。
誰でも初めて付き合った人は、初めて付き会ったというだけの事。その後も無限の出会いがあります。
他人のフィールドに首を突っ込み過ぎない方がイイでしょう。
そもそも、SNSも誰に向かって発信すべきことでしょうか。
そこが明確でないのにむやみに情報拡散しても、情報次第であなたのように傷つくことだってある訳です。
友達という言葉を深めていきましょう。
単に情報交換するだけの人が友達でしょうか。
友達って、傷つけあわない関係でしょう。
自分の事ばっかりな人間が友達でしょうか。
そういう意味では、無理矢理友達状態を維持しようとする必要の無い人も居るのです。
あなたは真の友を求めるべきです。
ちなみに仏法僧の僧とは、法友、勝友といいます。
互いに傷つけあわない。和を重んじる。
悟りや安らぎ、人間性の向上を求める間柄です。
別にアタマ丸めるわけでもありません。
僧侶たちと友達になってみてください。
あなたを傷つけない友達です。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ