家族を愛せません
家族に嫌いな人がいます。
中学生の頃に病気になって、ほとんど学校に行けませんでした。普通の人が普通にできるようなことができずに、その人が期待することにも応えられなくて、失望されてしまいました。
そのときに生まれてきたことを否定するようなことを言われてから、愛せなくなりました。
病気が治り、その人の望んだこととは別の分野で結果を出せてからは優しくなりました。でもそれが掌を返されたように感じてしまい、更に嫌いになってしまいました。
仮に、私になんの才能もなくても、出来損ないでも、ありのままを愛してほしかったと思ってしまいます。
金銭のことで、父にたくさんの負担をかけ、母を泣かせたことも赦せません。いつも気丈な母があんなに号泣していたことが特にショックで、今もたまに思い出して苦しいです。
人には皆、幸福になる権利があると思うのに、その人が今幸せそうにしているところを見ると、どうしても腹が立ってしまいます。
命に関わるような、ひどい暴力を受けた訳でもないのに、金銭のことも解決したのに、今は優しくなったのに、どうしてこんなことでいつまでも憎み続けているのだろうと思います。
優しい人間になりたいのに、その人のことが頭によぎると心の中でとても酷い言葉を使ってしまいます。
どうすればこの苦しみから解放されるでしょうか。どうすればもう一度愛せるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そんな私でいいんです
拝読させて頂きました。
そんな家族を愛せない、それも一つの意志です。
人は万人を愛し受け入れることはおそらくできません。立場が変わり手のひら返す人もいますし、いてもいいと思います。とはいえそれを受け入れたりいきなり尊重したりましてや心から愛することは無理ですからね。
いろんな経緯があり人はそれぞれ自分の意志で感情を持って生きています。
ですから無理に愛することもそもそも無理です。
おそらくこれからの人生や未来の中でいろんな局面があります、又あなたも様々な経験を積んでいかれるでしょうからあなた自身の人への見方や考え方や接し方も自ずと変わっていきます。
その中で様々な気づきもありますからね。
あからさまにケンカしたり衝突することもないかと思いますけども、好かない気にくわないは別にいいと思います。
そのことばかりにこだわらずにあなたが素直に生きていければいつかまた関係も感情も変わります。
好き嫌いがあるから人間です、それでいいんです、そして好き嫌いも時を経て移り変わるものです。
ちなみに私は幼少の頃本当に大嫌いな家族や親族がいました。本当にその人に会い話しをすると一週間はイヤな気持ちが消えませんでした。
今私が年を重ねてその方に会うとその方はだいぶ年取り衰えてしまい、以前のことを振り返ると本当に懐かしく思い、愛おしくさえ感じます。話してみるとその人は本当は弱い優しい人なのかなと思います。そしてどうかその人に長生きして幸せに生きて頂きたいと思いお話させて頂きます。
人の心とは移ろいやすいものです。時間を経て立場も変わり意識も変わると自ずと人の見方や考え方が変わりますし、相手も変わっているものですからね。
先ずそんな私達であることを知ってみて下さいね。
質問者からのお礼
ご回答いただき、ありがとうございます。
自分が本当に酷い人間のように思えて、今まで罪悪感を持ちながら生きてきましたが、それが少し軽くなったように感じました。
ずっと言い出せなかったことを、こちらで相談してみて本当に良かったと思います。
ありがとうございました。