生きる気力
自分の死を見つめると生きる気力がなくなります。かといって、自死したいわけでもない。。
何か生きるアドバイスを頂けるとありがたいです。
情けない質問で申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
しゃらくせぇー
”自分の死を見つめると生きる気力がなくなります”
そうですか。
それじゃあ、ご自分の死なんか見つめるのを止めちゃいましょうよ。
あなたもご存知の通り、人間の死亡率は100%です。
ついでに、死期も死に様も基本的には選べない。
じゃあ考えても仕方ない。
そんなことより、あなたの家族や友達、ご近所の皆さん、行きつけのお店の店員さん、かかりつけの病院の医師や看護師さんたち・・・あなたを取り巻く大勢の方々に、ありがとう、ごめんなさい、大好きだよ、愛してるよ、と素直に伝える生活を送ったほうがはるかに尊い。
仏教の洒落臭い理屈に毒されないで、どうぞ、あなた様の善意と良心と温かく優しいお気持ちで、ご自身とまわりの皆様をもっともっと柔らかく温かく包んでやって下さい。
<追記>
”仏教はシャラクサイですか?”
たとえば、子どもが「わあ、カワイイたんぽぽが咲いているw」と笑顔で愛でている傍から、「タンポポとは、キク科タンポポ属 (Taraxacum) の総称で、多年生で、多くはユーラシア大陸に自然分布していて…云々」なんていうウンチクを述べるのは、じつにしゃらくさいものです。
もちろん、仏教はどこまでも深遠で、尊き教えです。でも、少し前に私の仲間のお寺の伝道掲示板に「おまえも死ぬぞ 釈尊」と掲げたところ、これがSNSで拡散され、世間から大絶賛されたということがありましたが、やはり一方では否定的なご意見もちゃんとあったそうです。いかに釈迦の教説、高僧の解釈であろうとも、事と次第、時と場合によってはしゃらくさいものでしかない事もありますよ。だから、あなた様には、もっと「綺麗なものは綺麗」「嬉しいものは嬉しい」という理屈抜きの感覚の中で何かを感じてほしい、またその感覚を大切にしてほしいと思い、敢えてこう表現させてもらいました。
”数ある仏教宗派のなかで住職が浄土真宗を選ばれのは何故ですか?”
いい質問過ぎて、一言でお答えできそうもありません(笑)
ただ、お寺生まれでもお寺育ちでもない私が、多くの選択肢の中から浄土真宗を選択して今日に至っているというのは確かな事実です。この話はいずれまた。。。
質問者からのお礼
ご回答をありがとうございます。
仏教はシャラクサイですか?
数ある仏教宗派のなかで住職が浄土真宗を選ばれのは何故ですか?
重ね重ね詳しくご回答頂き、誠にありがとうございます。お手数をおかけしました。
1)シャラクサイについては理解できました。仏教の住職の立場にあっても冷静に仏教の教えを分析されている点は素晴らしいと思います。そういう仏教者の方が信頼できます。著書を多数書いておられる南直哉禅師も仏教に納得できない部分があると堂々とご著書の中に書いておられ、尊敬に値する仏教者としていつも感心しています。貴住職のお考えには南直哉禅師と通底するものを感じました。
貴住職が勧めておられるのは、クオリア(茂木健一郎)を大切にせよということなのだと思います。日本語では質感と訳されるクオリアは、脳科学者である茂木健一郎をもってしても「今後どれほど科学が進歩しても完全に解明されることはないだろう」と言わしめる、人間だけが持つ感覚なのだと思います。クオリアは大切でしょうが、人間の持つ意識そのものが今後も解明されるはずのないものと言われていますので、人間を「やっていく」のも簡単ではないと痛感しています。
2)貴住職が浄土真宗を選ばれた理由については、このhasunohaのご自身の紹介欄に是非書いて頂ければ幸いです(貴住職の里親活動を知り、深く感銘を受けました)。私も広く浅く仏教を学ぶなかで最も感銘を受けたのは釈尊による初期仏教の教え(スッタニパータなど)、歎異抄(親鸞、唯円)、選択本願念仏集(法然)、一枚起請文(法然)、浄土三部経です。私も一時期浄土真宗を信仰したいと思ったこともあるのですが、なかなか踏み切れませんでした。貴住職のお考えを是非お聞きしたいと思いますので、このサイトにアップして頂ければ幸いです。