自分の性格に苦労します
私は自分が大嫌いです。
自己肯定感というものがまるでありません。
そのせいで、すぐに他人と比べ、些細なことでイライラして、そして後悔します。
結婚して4ヶ月になり、秋には出産予定です。私の厄介な性格のせいで、主人に負担をかけてしまっているのではないかと申し訳なく思います。
また、人を頼ることが苦手です。迷惑なのではないかという考えで頭がいっぱいになります。小さい頃からそうです。友達に消しゴムを借りるのですら地獄のような辛さがともないます。
育児を控えていますが、実母は他界しており、義母とは結婚前に私の育ちについて酷い言葉を言われたため不信感しかなく、出来るだけ関わりたくありません。
頼りになるのは主人だけです。
ワンオペ育児は大変だ、ママ友をつくって悩みを共有したり、人を頼って負担を減らすべきだと、母親学級などでよく言われます。
しかし、私の場合は、その他人との関わりそのものが一番のストレスなのです。
子供の将来のためにも、他人との関わりも必要だと思います。
どうにか、この性格を直したいです。
人と比べたり、妬んだり、自分を嫌いになることはもうやめたいです。
自己啓発の本を読んでも、何も響かず効果なしです。自分なんて…と思うのはやめましょう!などと書かれていても、じゃあ、どうしたらそう思うのをやめられるのかが分からないのです。
ずっとずっと悩み続けるのは嫌です。
こんな性格を直すために私にできることはあるのでしょうか?
アドバイスいただけると嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【追記あり】気づき、認める
性格を直す必要があるのでしょうか?それがあなたなのでしょう?
あなた自身も
>私は自分が大嫌いです。
と言いながら、実は自分が好きだから変わらないのではないでしょうか。本当に嫌いなら変われば好きな自分になれるのですから。
結局は自己嫌悪も自己愛の裏返しです。どこまでいっても人間は自己への執著を離れられないものです。
ならば「変える」のではなく「気づく」、そして付き合っていく他ないのではないでしょうか。
良いとか悪いとかではなく、これが私なのだと認め引き受ける所に開けてくるものがあるでしょう。
自分が嫌だ嫌だと表面では思いながらも底の底ではまんざら捨てたものじゃないと思っている。だからその自分が認められないことが許せないのです。
自己が傷つくことを恐れるから他人を避ける。そのくらい激しい自己愛なのです。でもそれが自分で自分の首を絞めている。
自分が自分についてどう思うかという以前の自分の事実にこそ目覚めましょう。
以前に情熱をかけていた芸術創作に昇華するのも手かもしれません。生活のために創るのでなく、生きるために創る。
苦しい時辛い時には自己執著があるはずです。その時こそ創る。創ることで自分の事実に向き合っていく。
もちろん創作でなくてもかまいません。自分で自分の姿は見えないから自分を超えた所から教えられなきゃ自分には頷けません。
宗教はその役割を担ってくれるものですが芸術もそうかもしれないなと思います。
ちょっとはマシな自分になれるはずというところに人間の迷いがあるのです。徹底して至らない情けないどうしようもない在り方の我が身であったと引き受けられるところに突き抜けていく救いがあるのです。
【追記】
ちょっとキツイ表現になってしまいごめんなさい。なかなか受け入れがたいですよね。
具体的にはご自身を見つめる中で、性格を直そうとするよりは行動選択を見直してみてはいかがでしょうか。
他人を頼るのが嫌なままでも構わないので、それでも頼ってみるとか。そうすると自分の思いを超えて見えてくるより広い事実の世界があるかもしれません。
質問者からのお礼
丁寧な回答ありがとうございます。
少し傷つく内容でしたが、よくよく自分を見つめてみます。