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皆さんはどう自分の感情をコントロールしてますか?

回答数回答 3
有り難し有り難し 98

自分は現在
自律神経失調症 パニック障害 強迫性障害です。

写経をしたり座禅会に参加したりしてますが
中々自分の感情をコントロールするのが少し難しいです。
少しでも自分の感情をコントロールする方法がありましたらアドバイスいただきたいです。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

感情はコントロールするんじゃない。

ナイスな質問をありがとう。
ボクは、悟りのある仏教を広める仏教業界の絶滅危惧種、ジョー・悟りアーニ。
仏教が広まるには、あなたのような質問が一番有り難しだよ。(有り難し ポチ)
感情はコントールするんじゃないんだ。
まず、そもそも、あなたが今、そこで出逢っているものがある。
見えているもの、聞こえているもの。
「それ」と「キミ」とは「どうなって」いるかい?
出会い頭、最初の時点で。
「ただ、あなたがあって、そこの近くにそれがそのようにある」だけだ。
まだ何も思っちゃいない。ただ、見える、聞こえるだけだろう。
感情はいつも後から。
この身心を「オレだ」と認めるから自分の都合が生まれる。
自分の都合目線で物事をみるから、よいわるいや損得が生まれる。
隣に隕石が落ちようがそれは不幸ではない。
ただの出来事。
その直後から、あなたが頭の上で取り扱いを起こすから、良し悪しが生まれる。
寝てる時に良し悪しはないだろう。
つまり君が「自分にとって」という取り上げ事をしていないからだ。
キミが普段感情まみれになるのは「自分」を差し挟んでいる事が分るネ?
そう。
自分を持ち込まないスタンスが、君を感情から解放するのだ。
感情はあっても良い。喜怒哀楽は人間にとってつきもの。無くそうとすること自体がオカシイ。
「ただ純粋に泣け、笑え、自分を差し挟まずに公の怒りをもて。」
うちのお寺に来てくれた学生さんは、学校に行けなくなっていた。
だけど、この道理を良く学んで翌日から学校に行けるようになった。
キミも病気を克服できる。医者の言いなりにならなくてもいいんだ。君の心は君のものだからね。
悟りや安らぎを求めるんだ。
キミもジョー悟りアーニキになれる。😎

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

支配するよりも共存する

感情をコントロールするには支配下に置くと考えがちですが、それが出来るならいいですが中々難しい

「これはしてはいけない」、「こんなことを考えてはいけない」
このように強く自分自身を追い込むのでそれに耐えれなければ結局出来ない出来ないになります。

まずは自分自身の感情をあるがままに受け入れてみてください
「○○をしたい、でもよくないからやめておこう」、「○○なんてことを考えちゃうなぁ、まぁ考えるだけならいっか、実行しなければいいんだし」
これくらいの軽い気持ちであるがままにまずは受け入れてみてください

感情は上から押さえつけよう押さえつけようとすると反発します
まずはいったん受け入れてから、緩やかな自制へと向かってみてください

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有り難し
おきもち

人間ですから喜怒哀楽当たり前

はじめまして
私が感じたことをお伝えさせていただきます

感情はコントロールできません
むしろしなくていいと思います
人間ですので喜怒哀楽あって当然

それよりもその感情をどうするか
その感情をもとにどう行動などに表すかではないでしょうか

例えば怒りのコントロールをどうしたらいいかとの相談をよく受けます
怒りは第2の感情と呼ばれています
では第1の感情はなにか
怒る理由がそれぞれあるんだと思います
これをしてほしい
あれは嫌だ
これは許せない
あなたはなにを思って怒っているのか
それこそ重要なのではないでしょうか
そこに目を向けず、感情的に怒ってしまうから
自分も疲れてしまうし、それを受けた相手も嫌な感じに

ぜひ参考にしていただけたら嬉しいです

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有り難し
おきもち

人の寄り添える僧侶をテーマに活動中! 僧侶、理学療法士、心理カウンセラー  それぞれの立場を活かして 現在における僧侶像を確立するべく こころ・からだから笑顔になれる人を増やすべく仏教用語から由来して「わげんせ」という活動を通して、日々模索しながら動いております ※お坊さん回答の中に「鈴木光浄」がおりますが当初諸事情がございまして私が回答したものでございます。そちらもあわせてご参照ください

質問者からのお礼

回答ありがとうございました。
すごく参考になりました。

機会がありましたら是非回答して頂けたら有り難いものです。

丹下 覚元さん、スッキリ!!みました。
回答ありがとうございます。
また回答して頂けると有り難いものです。

回答ありがとうございます。
また回答して頂けたら有り難いものです。
参考になりました。
本当にありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ