自分の居場所がなくなる不安感について
初めて質問させたいただきます。
無礼なことがありましたら申し訳ございません。
私は昔から、学校だと転校生、会社だと新入社員など、新しいメンバーが入ってくると、
自分の居場所がなくなるのではないかと不安に感じてしまいます。
仲良くなれたらいいな、というよりも、周りの人が今の自分よりも新しい方のことを気に入ってしまい、
自分は見向きもしてもらえなくなるのでは、と勝手に考え、怖くなってしまいます。
自分の得意なことを伸ばして、存在意義をもてば、そんな不安もなくなるかもしれないと考えましたが、
人と違う得意な部分や自分の魅力がどこなのかもわかりません。
新しい方が加わるという情報が入ると、毎回不安感に襲われます。
また、実際に新しい方が入った後も、その方よりも秀でている部分を自分の中に探す、という、
とてもみっともないことを心の中で行い、安心感を得ようとしてしまいます。
自信がないことが問題でしょうか?人の目を気にしすぎているのでしょうか?他人と比較する心が問題なのでしょうか?
この辛い気持ちをなくし、自分は自分の魅力がある、という気持ちで、まっすぐに生きていきたいです。
どのような気持ちや心構えをもっていればよいのでしょうか。
稚拙な文章で申し訳ございません。
お答えいただける方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人と人とのかかわりだけの人生でしょうか
そんな気持ちは誰にもあるのではないですか。自分の居場所がなくなったら困りますからね。ただ、それが過剰だとやっぱり困りますよね。
三浦綾子という作家がおいでになりました。ずっと前に亡くなった方ですから、あなたはご存じないものと思います。『氷点』などよく読まれた本を書かれたキリスト教徒でした。病気のデパートみたいな人で痛みに苦しんでおられました。さて三浦さんがテレビのインタビューのなかで、「人と人との横の関係に目を奪われず、神と人との縦の関係を大切に生きたい」という内容のことをおっしゃっていました。
仏教は、仏と私を縦の関係では捉えないし、たぶん特定の宗教をお持ちでないあなたに三浦さんのような敬虔なクリスチャンのおっしゃり通りに生きてほしい、と言っているのでもありません。
が、人と人とのかかわりのなかにだけ関心を向けていると、どうしても比較の世界から抜け出せなくなりますね。ある方が、「比較三原則」という新語を作って、他者と比較しない、過去の自分と比較しない、世間の風潮なり常識みたいなものと比較しないという生き方を勧めています。比較三原則をおかすと辛くなってしまう。だから、hasunohaに相談なさっているのですね。
だったら、自分と周囲とのかかわり以外のところで別の視点や、価値観を見つけるということでしょうか。その別の価値観を私の場合は仏教が与えてくれています。だから、あなたも仏教を信じましょう、とはいいません。が、信者にはならなくていいから、仏教から学んみることをお勧めします。必要じゃないことにこだわって、苦しまなくてもいいことで苦しんでいる。それを手放して生きることで心が平安になると説かれています。そして、とらわれの手放し方を具体的に教えてくれていますよ。調べてみてください。
質問者からのお礼
藤岡様
お答えいただき、ありがとうございます。
ご回答を拝見していて、人と人との関わりが全てだと、当たり前のように考えていたことに気がつき、考えが覆りました。
自分の価値観だけではなく、色々な価値観を学びたくなりました。
藤岡様に私の相談を見ていただけて良かったです。
心から、ありがとうございます。