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絶望から立ち直るには

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有り難し有り難し 16

家を追い出され、生きる意味を失って絶望しています。

夫に対しては、相談や共感してくれないなど、多少の不満はありましたが、大きな衝突はなく、仲良し夫婦でした。ところが、数年後にひとりっ子の長男が産まれてから、夫婦仲が一変しました。

夫は育児に非協力的で、気が向いた時に関わる程度でした。息子は育てにくさがありましたが、私なりに愛情深く育てました。夫とは次第にコミュニケーションが減っていきました。

息子は小学校でいくつもトラブルを起こし、中学年の時に発達障害と診断されました。社会性・共感力・想像力がなく自己中心的で、手が出ることもしばしばでした。関わってくれる保護者は皆無で、私と息子は常に孤独でした。支援級は夫が希望しなかったため、普通級に通わせました。

このままでは、息子はいずれ社会から孤立してしまいます。私は医師や専門機関に相談したり、家庭でも社会性を育むトレーニングを行なったりと孤軍奮闘しましたが、高学年になるとトラブルの内容はより深刻化しました。

一番困ったのは、夫や同じ敷地内に住む義父母が障害に無関心だったことです。無責任に息子を庇い、私を責めました。もともと母親に執着しない息子は、徐々に私の指示を聞かなくなりました。

息子の障害を知る中で、夫にも何らかの障害があるのではと気付きました。私ひとりでは、もう子供を支えてやることができなくなっていました。どうしたら夫と一緒に子育てができるかと悩んだ末に、息子の世話を一旦夫に任せ、手助けが必要な時はいつでも助けると伝えましたが、夫は私に助けを求めることはなく、半年後、息子を連れて家を出て行ってしまいました。結果、夫と親族から離婚を迫られました。

夫は「お前の子育ては失敗だった」と私を罵り、義姉は「障害を理解するなんて無理。子供を預けるなら育て方に口を出すな。嫌なら子供を連れて出ていけ」と言いました。さらに、夫が卑怯な手段で私を罠にはめようと画策していたことを知り、夫婦仲の修復は不可能だと思いました。息子は「ママと暮らすのは無理」と答え、私は一人で家を出ました。

私が情熱を注いだ子育ての十数年は無意味だったのでしょうか。仕事を続けていたことと、私の親兄弟や友達が気持ちに寄り添ってくれることだけが救いです。子供の将来を思うと、心に開いた穴は一生塞がらないように思います。絶望から立ち直る方法が知りたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まずは息子さんとあなたを大切に

 大変でしたし、今も大変でしょう。おつらいことと思います。今、息子さんはお父さんとはうまくいっていらっしゃるのでしょうか。あなたのご親族が寄り添って下さるのは本当によかったと思います。
 発達障害は見極めにくいし、認めたくないという親ごさんもたくさんいらっしゃいます。
今はご実家で気分的に落ち込みがあると思いますが、一度「発達障害センター」のような公的機関に相談されることをおすすめします。そして包み隠さずすべてを話してみて下さい。何らかのヒントや糸口が見つかると思います。
 あなたへの反発から、息子さんはお父さんについていかれたのでしょうが、やはり破綻が想像されます。過酷な言い方かもしれませんが、離婚はしてもしなくても、息子さんは将来、世の中でやっていけるようにしてあげたいですね。センターは、最近は大人になり社会に出て初めて気がついた発達障害の方もいらっしゃいます。専門性がないと指導にも過ちがありますから、たとえ今、息子さんと一緒におられなくても一度相談されるとよいと思います。
 旦那さまのご親族は、今は無視しましょう。
まずは息子さん。優先順位をつけて、大切な息子さんを適切な教育に導けるようになさって下さい。
 また気持ちがズタズタのあなたもとても心配です。あなたが悪いとかそんなことではないのですよ。どうか無理をなさらないで、あなたの気持ちもゆっくり回復されて下さいね。心から応援しています。

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有り難し
おきもち

九州に住んでいます。 長い間、教育職をしていましたが、発心して浄土宗の僧...
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質問者からのお礼

薫誉至誓さま

お忙しい中、早々のご回答をありがとうございました。

私に寄り添い、気遣って下さるお言葉に、ただ嬉しく涙が溢れました。

私が一番心配しているのは、息子の周りの親族に、息子のことを本当に考えてあげる人がいないことです。
息子も問題から逃げ回ることを覚え、私を必要とはしてくれません。息子が泣いて縋るような子であったなら、こんなことにはならなかったと思います。

一縷の望みを捨てずに、発達障害センターに行ってみることも手かもしれませんが、今は息子を思い出すことも、他人の子育ての話を聞くのも辛いのです。私の身の上を知らない同僚が、子供の部活が忙しくて休んでる暇ないと愚痴るのを聞くと、平静を装って大変ねと言いながら、心は鉛を呑み込んだような苦しさがこみあげます。

母からは、息子のことは忘れて、何か夢中になれる目標を見つけてはどうか、と言われています。私は私のために生きるべきですか。今はただ悲しくて、先に進む力がありません。

ありがとうございました。

追記します。

息子は夫とそれなりにうまくやっているとは思います。夫や夫の親族は、息子には居場所と安らぎが必要、不必要にストレスを与えるなという考え方で、息子が黒いものを白いといっても、間違いを正すことはしないからです。息子が欲しがるものはなんでも与え、間違いを正すこともしないので、息子にとっては居心地はよいと思います。私は、息子が欲しがるものと、息子に必要なものは違うと考えて、社会に出て息子が困らないように間違いを正していたため、夫親族との対立を生んでしまいました。息子には夫婦や家族が仲良くコミュニケーションする姿を見せることこそ最良の方法だと考えましたが、夫は私とのコミュニケーションを拒否しました。

今はなぜ夫と結婚したんだろう、夫はなぜ私と結婚したんだろう、子供なんて産むべきではなかったとすら思い、後悔で胸が張り裂けそうです。

「自分・人生に絶望しています」問答一覧

普通の家庭への羨望、前向きにがんばれない

あまり一般的とは言えない家庭で育ちました。 親は共働きですが父親が働いたお金をすべてギャンブルに注ぎ込むため、生活費や学費がなくなり子どもの私や姉が高校に入学すると同時にバイトを始め母と一緒に生活費を工面する生活でした。高校卒業時に全部自分で責任を背負うことを決め家を出て、大学に進学しました。そして海外の大学院に進学し今に至ります。 現在私は30歳になり、海外で自分がずっとやりたかった仕事ができています。 それは子どもの頃からの地獄のようなアルバイトの生活とこれからの奨学金の返済義務を犠牲にやっとこの場所に立てているのです。なのにただ何もかも用意された環境で育ち、困ったことがあればすぐに頼れる実家や家族がいて、お金の心配をする必要なく日々を前向きに過ごせている周りの友だちが羨ましくて仕方ありません。 その上「逆境こそがんばらなきゃ!貧困を努力で乗り越えた人たちはたくさんいるよ!」「もっと賢い方法でお金を稼ぎなよ」と子どもの頃から何不自由なく育った人たちに言われても、素直に受け取れません。 周りからがんばれと言われても、そもそも子どもの頃から全部自分で稼いできた人が存在すること、親に頼れない家庭が存在することを知らない人ばかりで実際私の立場は誰にもわかってもらえないことと、周りとのスタート地点の大きな差をただただ思い知らされて心が折れそうです。 「確かにあの時もっとかんばれたんじゃないか?あの時少し怠けていたんじゃないか?」など自分の技量不足や努力不足も疑い始めました。でもこれでも立ち止まらず、立ち止まれずに心と体をぐちゃぐちゃに壊しながらも今まで一生懸命やってきました。 これからももっともっと前向きにがんばってお金を稼がなければなりません。それなのに私は今も周りの生まれた環境を羨み、比較して、なぜ私は今までもこれからもこんなに苦しまなければならないのかと絶望してしまいこれ以上がんばれないままでいます。 周りとの生まれの違いを気にせずに、どうやったら前向きにがんばれるでしょうか?

有り難し有り難し 4
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習い事を辞めるか悩んでます

10年以上同じ習い事をしています。 ですが4年前不登校になったことにより途中行けなくなり、ここ数年いやいや行ってはいますが毎回のように親ともめてしまいます。 行く日が不定期なので日にちが覚えられず、言われてもメモすることを忘れる事もありそれで"行きたくない""行きなさい"の口論を毎回してしまいます。 でも、なんだかんだ行きたくなく泣いても行ってました それはだいたい行かなかったら何千円払えよと言われてたからです。 そのような言葉が出るのは払ってもらってる以上当たり前ですし行かない・覚えられない私が悪いので仕方ないことなのですが、毎回このくだりをやっていると疲れてきちゃってほんとに体調悪くていけない時もあるのに行かされてどんどん完璧を求められてるんじゃないかと感じ始めちゃって、なんで完璧な人間じゃなきゃ続けちゃいけないの?なんで完璧な人間じゃなきゃ挑戦しちゃいけないの?と悲しくなっちゃって… 今日その習い事ホントに無理で休んじゃって… 家族も怒っちゃって謝っても話しかけないでも言われてしまって… もうこの感情どうしようもなくて、悪いのは私だけど話を聞いてもらえないし私の頑張ってる(行ってる時)は見てくれないと感じてしまっています… だからこんな数年完璧を求められて泣くなら辞めようかなって思っちゃって… でも、いやいや行ってると行ったのですが行くのが嫌なだけで習い事自体は好きで10年以上も同じ先生に習っていることもあり辞めにくく…一時な気持ちの悩みもあると思いますし、やっぱこんなに引きずるならパって辞めたほうが良いものなのですかね…親には申し訳ないんですけどこんな私でもやっぱ続けててもいいのですかね…

有り難し有り難し 2
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どこで働いてもうまくいかないです

福祉施設で働いていましたが責任の重圧から辞めてしまい、今はまったく違うアルバイトをしていますが、要領が悪くバカにされているように感じます。 うわべだけはうまく行くのですが、深く人と関わることになると避けてしまいます。 以前の職場では雑談が苦手で人の顔色ばかり気にして自分の意見がないイエスマンでした。 福祉の相談員をしていたときも資格をいくつか取り自分なりに頑張ったのですが、仕事を一生懸命しても人とフランクに関わらず、ういてしまっていた気がします。 なのに相談員の仕事をしていたのは向いていなかったのかな、とも感じています。「ありがとう」と言われることはありましたが… その反面、私はできるはず、人に尊重されるはず、という身勝手な思いもあって自分にダメ出しをしてしまいます。 まず他の人のことを思いやれる人に幸運はやってくると思うのですが、自分の利ばかり考えてしまい、汚い人間だなとも思います。 この生きづらさは私の生育歴によるものだと思い、アダルトチルドレン のセミナーやカウンセリングも受け、変わりたいと切望しています。 後輩や孫がいるような年齢でそんなことを言っている自分が情けないです。 経済的な面からも次の仕事をきちんと探さなければならないのですが、今の自分ではどこに行ってもうまくいかないだろうと思い、不安でしかたありません。 年齢を重ねてしまった焦りもあるし、私の人生は失敗だった、と情けなく感じています。 家もわけあって叔父叔母などの親族といろいろあり心安らげません。 交際中の彼がおり、叱咤激励してくれますし、ありがたいとも思っています。けれども迷惑をかけそうですし、こんな自分では見合わないとも感じています。 わたしの生きている意味もわからず、いなくなってもいいかな…とさえ思います。 けれども生きなくてはいけない。 どうしたら明るくのびのびと人と関わり、仕事や人間関係がうまくいき、晴れやかに生きることができるのでしょうか。

有り難し有り難し 6
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絶望から立ち直る術を知りたい

昨年10年以上付かず離れずお付き合いしていた方とお互い再婚同士で結婚しました。 子供も成人し、これから一緒に住む家を購入しようとした矢先、夫が突然行方不明になりました。お互いの夢を詰め込んだ家は住宅ローンが中途半端なまま連帯保証人の私に請求がきています。1人でローンを組み直すにも収入が足りず弁護士さんに売却の方向で話を進めて頂いている状態です。 行方不明のまま数ヶ月経っており、安否も分かりません。 結婚を熱望していた彼が何故いなくなったのか。いなくなってから分かったのは私にたくさんの嘘をついていた事。変わっている人だとは認識していましたが、個性だと思い納得するようにしていました。優しく良いところもあったからこそ長く続いていたと思いますが、10年近く自宅アパートに入れてもらえなかった事や、引越し予定だった自室には鍵を付けたいなど理解できない事も多く、最後にこのような多くの人を巻き込んだ裏切りをされ、再婚を心から喜んでくれていた両親を傷つけ、恨みや怒りというよりただただ困惑して心の整理がつかず鬱状態から抜け出せません。 自宅が思うように売却出来ない場合には自己破産することになります。これまで結婚後や老後の為に貯めていた貯金はほとんどなくなり、社会的信用も失います。年齢的にも若い訳ではないので、絶望感に苛まれており毎日何のために働いているのか、何のために生きているのか分かりません。 心配してくれる周りからは、好きな事や趣味で気晴ししたらとも言われますが、インテリアに関する事が趣味だった為、虚しくて苦しくなります。 老後1人で生きていくのが不安だったから決断した再婚が、自分を窮地に陥れる事になってしまった私の間違った判断力、スピリチュアルな事に傾倒してしまいそうなこころの弱さ、ただでさえ精神的に繊細でストレスを抱えやすい私が今後女1人で強く生きていく為に、どういった心待ちでいれば良いかお教えください。

有り難し有り難し 3
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病む人は嫌がられ…私のこと?

 いつもお世話になっております。朝からネットで法話を聴いて いました。 「老いた人は邪魔にされ、病む人は嫌がられ。これが人生。 仏教の教えに通じる」 とお坊さんが言っていました。  老いることは止められない。病むこともどうしようもない。  私は発達障害があり、体にも影響が出てしまうので、ヘルプ マークを付けています。満員電車など、「座らせていただけませんか」 とお願いすることも多々あります。  私の主治医の先生や支援者さんは、 「差別的、排除的な考えを持つ人は、世の中でも一部だよ」 「障害、病気だからみんなから攻撃されるという考え方は、 とても損」 と言います。  私が尊敬するくられ先生も、 「人は、不健康な人を見ると恐怖を感じるように進化してきた」 と言っていました。  しかし、 「障害を負っている人たち。確かに、周りの人は違和感を抱く。 でも、勉強している人や知っている人は、理解してくれる」 と続けました。  くられ先生は、毒物学や生化学に詳しい科学ライターの先生です。  しかし、お坊さんはその法話で、 「檀家の90歳のおばあさんは、いつも笑顔で『おかげさま』『ありが とう』が口癖の人。そのため、町内でも人気」 と言っていました。  私も、席を譲ってくださった方には、飴玉を勧めるように しています。断られてしまいますが、お礼の気持ちです。  私は、周りの人を怖がらせている、不快にさせているの でしょうか?どうすれば、病んでいても老いていても、邪魔にされない 嫌がられない存在でいられるでしょうか?

有り難し有り難し 17
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ