hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

生きることに対する執着心について回答受付中

回答数回答 1
有り難し有り難し 1

生きていてしたい事が無いし、それほど楽しい事も無い
家族や友人も何人も亡くなっているのに生きる事に執着している自分が浅ましくて醜い気がします
生きている事に価値を感じないし、どうせ死ぬのに何故生きることに執着してしまうのでしょうか
楽しい事があってもすぐに飽きてしまうから虚しいです
死にたい訳ではありません
むしろ生きていたい理由がないのに死にたくないから苦しんでいます
なかなか話を聞いてくれてくれる人がいないので質問というより
愚痴を書きに来たみたいになってしまってすみません

2025年6月17日 17:41

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

みちる 様

当たり前のことかもしれません。居ることの力、有難さ、感謝を思い描いてみましょう。
あなたがただそこに居るだけで、どれだけ助かっている人がいるか。
お子様もそうですし、ご主人もそうです。
生きていてただそこに居ることが、実はとても貴重で有難く、そのままで価値のあることだと思ってみましょう。

鬱で苦しい思いをしたり、落ち込みやすかったり、価値を感じなかったりするのは
あなたのせいではありません。あなたに責任はないし、あなたが悪いのではありません。
人は何かがきっかけで、辛い思いをしたり、苦しい思いや、痛い思いをした時に
恐怖を感じてそれを脅威信号として受け取り、記憶に残り、鬱になったりするのです。誰でも起こることです。あなたが悪いのではないのです。
虚しさを覚え、生きていたい理由がないと思ったりするのです。
でも、先述した通り、「ただそこに居る」ことにとても価値があるのです。

生きていることは、一人の自分の力によるものではないのです。多くの人と繋がっているし、自然の力も働いている。過去から現在までずっとそうです。あなたの命には沢山の力、価値が繫がり詰まっているのです。
ですので、
私はあなたを祈ります。これから安心感を得て、心身ともに健康でいられますように。そして、お子様・ご主人、ご家族の皆さまが安心安全で暮らせますように。
ご祈念申し上げます。合掌礼拝。

2025年6月17日 21:11
{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリング、コーチングなどで活動しています。 メールでの相談も受け付けています。hasunohaの回答後のフォローアップはメールで致しておりますので、メールでお問い合わせください。また面接でのカウンセリングセラピーをご希望の方もメールで連絡をお願いします。 honsyoji.sk@ddknet.ne.jp へどうぞ。
昼間は、ほとんど法務に出ておりますので、夜の応対になります。 できれば、事前にメールで相談内容を教えていただければ、スムーズなセッションになるように思います。 プライバシー、相談内容の守秘義務は遵守いたします。

煩悩スッキリコラムまとめ