初めて質問させて頂きます。
私には夫と小さい子どもがいます。自分で分かってて結婚、出産したのですが、経済面や、健康面、嫁姑関係、周りの育児の協力が得られにくい、などの問題を抱えています。
夫と結婚し、出産することは大変な道を歩むことになることは前もって分かっており、納得した上でその道を歩んでおり、実際今は幸せを感じています。大変だなと思う時もありますが。
そんな中、友人と連絡を取っていると、義理の実家との関係が良好そうだったり、経済的に安定していたりする近況報告を聞くと、もやもやしてしまいます。
友人は決して自慢げに話すことはありません。また私の環境を知っており相談によく乗ってくれ、ありがたいです。
そんなありがたい友人に嫉妬を覚えてしまうのが辛いです。友人が幸せそうだなと感じるとたまに何か不幸な事が起こればいいのに、と思ってしまう自分が嫌です。
私だって大変とはいえ念願の家庭を持つことができ、とても恵まれていることは理解しまいます。私よりも大変な環境で生活されている方もいます。友人だって私には無い悩みを抱えて、奮闘しながら生活をしているはずです。
分かっている筈なのにどうしても嫌な気持ちも湧いてしまいます。納得して覚悟してた筈なのに覚悟が足りなかったのかと、悲しくなります。
相談にもよく乗ってくれてありがたい友人ですし、他の友人との繋がりもあるので、連絡を断つことはあまりしたくありません。
この負の感情はどのように処理すればいいでしょうか?
お忙しいと思いますが、教えて頂きたいです。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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さやさん、はじめまして。
海老原と申します。
拝読いたしました。
お友達に嫉妬してしまうのですね。
さらに悪い感情まで抱くこともあり。
相手が、いい友達だけに、余計に自分が嫌になりますね。
あなたは、覚悟を決めて結婚生活をなさっておられます。
諸問題を抱えながらも、食いしばりながら進んでおられる。
さらに、しっかりと幸せを感じておられます。
じっくり考えたうえで、今の生活に入り、幸せを掴んでおられるのだなと、私には感じられます。
なのに・・・
そこに、幸せそうにしている友達の存在が出てきたのですね。
実際、本当に幸せかも知れません。
例えばの話です。
幸せの平均点が50点だったとしましょう。
あなたは75点取っています。
平均より25点も幸せですよね。
そこに90点取っている友達が現れました。
あなたは25点幸せなはずなのに、なぜか15点不幸だと思っているのではないでしょうか。
でも、そのような思考になるのは、あなただけではありません。
もっと欲しく思うのは、人間である証拠です。
人間足りていないものがあると、どうしても手に入れたくなるのです。
でも、実際には不可能・・・
そこに苦しみやねたみが生じ、通常では考えられない思考に陥っていくのです。
程度にもよりますが、行動に移してしまう人もいます。
しかし、さやさんはご自身の環境や、相手の立場も理解しておられます。
また、感謝の気持ちもお持ちです。
嫌なことを、頭の中で思ってしまうくらいは、仕方のないこと。
誰だって少なからず負の感情を抱えて生きています。
ただ、それを言わないだけです。
みんなキレイごとだけで、生きたいと思っているのです。
負の感情が出てしまっても、それは当然の事と思って下さい。
負の感情が出たからといって、さやさんは不幸ではないのですから。
拝
法華経に長者窮子の譬えというものがあります
放浪者の窮子はある時長者に出会い、雇ってもらえるまでになり、財宝をも管理して何不自由なく生活できるようになりました
それでも尚窮子の心は「自分ごとき」という卑屈な心にいつも囚われてどうしようもなかったのです
私もさやさんに同じく
新しい家を建てる人、新車買う人、仕事できる人、時間がある人、元気な人、友達多い人、家族仲むすつまじい人
全て羨ましい
それはそう思って仕方ないんです
それこそ「人間だもの」ってやつなんです
これは食欲と関係が深い煩悩です
例えば目の前に
美味しそうな最高級のサシの入った肉と少し色が変わりかけた捨てるような肉がポンと差し出されれば
誰だって旨い肉を迷わず食べます
ところがもう1人もう1人と肉の前に人が現れはじめるとさほど飢えて無くても焦りが生まれます
この「焦り」こそ実は今の悩みの種なのです
幸い人間には工夫という知恵があります
己の生活にちょっとした変化を与え少しでも楽しくしたり
ちょっとオシャレでも、料理でも、何でも良いんです
嫉妬も楽しみ上手だけには敵わないのです
仏も窮子も我々の中にいます
合掌
丁寧なご回答、本当にありがとうございます。心温まる内容である事はもちろん、とても説得力があり、私の中でしっくりときました。自分の中で湧き上がる感情が悪いものであっても、「しょうがないよね!」と深く考え過ぎずに向き合えるようにしていきたいです。